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2011年2月

2011年2月25日 (金)

心がぐん!と育つ

何年ほど前になるでしょうか。

  私の娘が教師をしています
  このたび、娘が、本を自費出版しました
  よかったら、この本、読んでやってください

住職が布教に伺った先で、お聴聞されていた男性から声を掛けられ、「パーソナルポートフォリオ」という本を頂戴しました。

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この「パーソナルポートフォリオ」は「自分と家族、友達をもっと大好きになってほしい」と独自の教育法を実践している岩堀美雪さんの本でした。

今の子供たちに「自分のことが好き?」、「自分に自信がある?」という質問をすると「NO」とか「そんなに無い」という答えが返ってくるそうです。

  ・あなたは、こんなにすばらしい!ということを教えてあげたい
  ・人が認めてくれる以上に、自分が気付いてほしい
  ・自分で認めて、自分のことを好きでいてほしい

自己肯定ができず、「どうしてこんなにダメなんだろう」と悩む子供たちに「自信、やる気、思いやりが育ってほしい」との願いから執筆されたそうです。

それは、「自己肯定感を高める取り組み」として、子供たちに『パーソナルポートフォリオ』という「自分の中のプラス面を探し、それに関するリストをスクラップする」という取り組みです。

  ・マラソンの一等賞のカード
  ・うまく書けた習字や図画
  ・伸びた身長の記録

等々、スクラップはなんでもOKです。それをクリアファイルに綴じていく。友達同士で良いところを書き合い、それも綴じていく。

言わば、「無い無い探し」ではなく「有る有る探し」でしょうか。

人は他人と比べて「無い無い探し」ということには敏感に察知しますが、「有る有る探し」ともなると、当たり前すぎて鈍感にもなりがちです。

あえて「有る有る探し」をしてみることで、「これも素敵、あれも素晴らしいと、改めて気付くことが出来る」ということでしょう。

そして、自分を肯定できたら、相手のことも肯定できます。

ウ~ン なるほど、これは子供たちだけではなく、大人たちにこそ必要なことです。自分の良さに気付くことは、他人の良さにも気づくことができますもの。

自分で自分を信用していないのでは、相手を責めることばかりで、何も始まらず、何も変わりません。

今の政治家に聞いてほしい言葉かな‥‥‥? イエイエ、自分が聞かなければならない言葉です。

3月19日(土曜日)、勝山市勤労婦人センターにて、そんな自分に自信を持って人生を歩んでいく生徒をたくさん育ててきた「岩堀美雪さんの講演」があります。

施設の名称は「勤労婦人センター」ですが、もちろん男性も利用できますので、ぜひ、聴講させていただきましょう。scissors

2011年2月22日 (火)

顔のシミは‥‥?

昨日の10時から15時30分まで、「寺族婦人研修会」が本願寺福井別院で行われました。

今回の研修会の内容は、「法衣のシミ抜き&修繕の方法」、「法衣のクリーニング」、「法衣のたたみ方」です。

日頃、知識も、自信もなく、もはや我流で済ませていた「悩み」や「疑問」を「その道のプロにコツを教わるまたとない機会」と思い参加しました。

研修会の講師は、牧野法衣仏具店(福井市)の牧野氏で、90名近くの坊守さんが参加する盛況ぶりでした。

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最初に「法衣のお手入れ方法」と「ちょっとしたシミ抜きのコツ」を教えていただきました。

まず、食べこぼしや、汁物の跳ねなどの汚れは、絶対に飲食店のおしぼりで拭いてはいけないそうです。

これは、おしぼりに塩素が含まれているため、逆に色落ちしたり、水分によって凝固してしまったりして、本来落ちるシミも落ちなくなってしまうそうです。

そして、襟や袖の皮脂汚れなどは、使い古しの歯ブラシに水をたっぷり付けてこすり洗いをしてから、本洗いすると汚れが落ちやすいそうです。

ファンデーションなどの油性の汚れは、ベンジンをたっぷり含ませたティッシュかガーゼ(タオルは生地を傷めるのでダメ)でシミの部分をトントンと軽く叩くようにし、汚れを写し取るようにすると落ちやすいそうです。

足袋は、脱いだらすぐぬるま湯に一晩浸けておき、昔ながらの固形石鹸で部分洗いをしてから本洗いすると落ちやすいそうです。

等々、ちょっとした「コツ」と「ポイント」で見違えるほど綺麗になる方法を教えていただきました。

この「綺麗にするための必要な手間」というのは、料理の下準備と同じで、面倒がって適当に省くと、美味しさに大きく差が出ますものね。

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法衣のたたみ方は、牧野氏ご自身による実演指導です。特に袴のたたみ方は、皆さん自信がなく、「ウ~ン、なるほどー」と感心しきりに眺めておられました。

実演指導のあと、皆さんで実際に法衣をたたんでみました。見ていると簡単にたためそうなのですが、実際にやってみるとなかなかスムーズにいきません。

やっぱり『普段からの積み重ね』が大事ですね。「忘れないうちに、帰ったらたたんでみよう」と意欲満々でした。

これまで気になっていたことが、スッキリ解決でき、何より「気付き」を他の方と共有でき、とても有意義な研修となりました。

牧野法衣店さま、法衣持参での分かりやすい実演指導を有り難うございました。これで自信を持って、法衣の手入れ、修繕、保存ができそうです。

そして、「大切な法衣、自分の手に余ることは無理をしないで、早めにプロに任せましょう」とのご指導は、しっかり再認識させていただきました。

結局、アレコレして生地を傷めてしまったら大変ですものね。今回の研修でこの「再認識」が私にとって一番の教訓になりました。

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つぶやき:こんなに綺麗にシミが取れるなら、顔のシミも取れないかしら‥‥?
     でも、牧野氏の説明によると「シミ抜きは、早ければ早いほどよく
     下手にいじられてない方が、落ちる確率も高くなります」と‥‥
     このシミは年季ものだから、やっぱりダメか‥‥

2011年2月21日 (月)

左義長一色

昨日は「勝山左義長まつり」の一週間前にあたり、会場となる13地区(櫓は12地区)で一斉に短冊を吊るしました。

区民総出での作業です。道路を挟んだ家の軒先に横縄を張り、その横縄にビニール製のカラフルな短冊の付いた縦縄を結んでいくのです。

毎年この時期は、まだまだ冷たい風が吹き、屋外の作業は大変なのですが、今年は穏やかな天候に恵まれ、作業もはかどったようです。

道路上4M位の高さに吊るされた短冊は、風に揺れて「サラサラ」と音を出し、日に照らされて「キラキラ」と光るさまは、見事な「勝山の冬の風物詩」です。

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子供たちは太鼓の練習にも熱が入り、27日の午前10時から各櫓(やぐら)で行われる「子どもばやしコンクール」に向けて最後の追い込みとなっています。

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私どもの中後地区でも、本番に向けて熱のこもった子供たちの練習が、連夜に渡って行われています。

中後地区では、子供会が中心となって構成されていますが、地区の小学生は7人だけなので、櫓の無い地区の子供たち9人が応援に駆け付けてくれました。

これで何とか賑やかに本番を迎えられそうです。会場となる13地区のどの地区でも、少子高齢化の中、祭りの担い手の確保が年々困難になっているようです。

そんな各地区皆さんのご苦労が実った今年の「勝山左義長まつり」です。どうぞ見にいらしてくださいね。

2011年2月20日 (日)

親子でコラボ

本日、2月度の常例法座が勤まりました。大雪に見舞われた先月の常例法座とは打って変わり、素晴らしい好天に恵まれました。

早朝から除雪作業に追われた日々がウソのようです。きっとご参詣の皆さんも、足取り軽く、気持ちも晴れやかに、本日のご縁を迎えられたと思います。

住職は、県外へ布教巡回のため、今月の法座は、若院と坊守で務めました。

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若院は、まず「葬儀とその意義」を、そして、法然上人と親鸞聖人との出会いと別れを通し、「遇うべき人に遇い、遇うべき教えに遇うことの素晴らしさ」を3席にわたって、一生懸命お取り次ぎしてくれました。

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私は、「縁起と縁を最大限に生かし切る生き方」について、これまた必死にお取り次ぎさせていただきました。

このたびの法座も、またまた聞き上手の皆さんに助けられ、無事に終えることができました。(よかった‥‥)

2011年2月19日 (土)

いのちの願い

昨日の18日(金曜日)、市内の鹿谷町保田地区のサロンのご縁に寄せてもらいました。今回で4度目のご縁となります。

こちらの地区は、参加者のなんと「三分の一が男性」という頼もしい地域です。

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皆さんで歌っていただくと、「まるで混声合唱団(ちょっと言い過ぎ?)」のように素敵に聞こえてきます。

今回、保田地区のサロンでは、次のようなお話しをさせていただきました。

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    長生きの秘訣(実は長息の秘訣?だったりして)は、息を吐くことを忘れないことです。息を吸ってしっかりと吐く。息を吐くから吸えるのですよ。

    それをなんとか呼吸したいばっかりに、息を吐くことをせず、ひたすら吸おう、吸おうとすると、亡くなる羽目にもなりかねません。

    だから、人が亡くなったときには、「息をお吐き取りになりました」ということはなく「息をお引き取りになりました」となるのです。

    逆に、危機的な状況で蘇生できると「息を吹き返す」といいますよね。

    息を引き取って「死」、息を吹き返して「生」となり、呼吸のたびに「生」と「死」を繰り返しています。

    人が生まれる時には、まず「おぎゃあ~!」と泣きます。産道を出るや否や、力の限り泣いて息を吐き続けるのです。

    仏教的に申せば、息を吐き、このたびめでたく尊く、六道の人間界(娑婆世界)へ、「いのち」のご縁をいただくことができたのです。

    六道を輪廻をしながら、六道のどこかに息を吐いて生まれ、六道のどこかに息を引き取って終えていたその「いのち」の繰り返しが。

    そして、誕生の瞬間、当の本人は泣き、見守る周囲は慶んでくれる。

    やがて人間界の縁が尽き、死に直面した当の本人は、「おかげさまでいい人生だった、先に行って待ってるから」と、その「息」を引き取っていく。

    また、周囲の死を看取る者たちは、惜しみ泣く中にも「お疲れさまでした、私たちも後から行きますからね」と、その「息」を引き継いでいく。

    その「息」を引き取った暁には、瞬時に阿弥陀如来さまの世界、お浄土へ参らせていただき、仏さまとして永遠の「いのち」をいただくのです。

    今度は、「生」と「死」を繰り返すことのない永遠の「いのち」です。

    ですから、死を看取り、その「息」を引き継いだ愛しい人との死別でも、これが永遠の別れではなく、必ずお浄土で仏となって再会できるのです。

    お念仏のご縁は、愛しい人が息を引き取られる際に「さようなら」ではなく「お浄土でまた会いましょうね」と、受け取っていく道に導かれます。

    お浄土で会える。このことひとつを伝えていける人生でありたいものです。

    吐く息、吸う息、ひとつとして「我が力」で出来るのではなく、浄土真宗の「他力」とは「その目覚め、自覚の宗教的表現である」といえます。

    共通の起源を持つ「息(呼吸)」と「生き」です。

    どうぞ皆さん、お念仏と同様に、吐く息も、吸う息も慶ばしてもらい、「いのち」の輝く生き方(息方)をさせていただきましょう。

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昔から「袖触れ合うも多生の縁」と言います。

ですから、「どんな縁も、生かし切れる生き方」すなわち「何よりも、まず自分自身が、生まれてきて良かった」そして「自分自身が、生きてきて良かった」と言える身になることです。

つまり、「死んでなお、意味がある人生をいただいた」と生き切ること、それが「人間として生まれた生きがい」かもしれません。

保田地区の皆さん、次回のご縁、楽しみにしております。

2011年2月18日 (金)

北信流お盃の儀

本日も、信州長野県からお届けして参ります。昨夜は、院外布教で長野市の専福寺さまにご縁をいただきました。

2月の法座は新年会を兼ねての法座で、勤行では大遠忌法要で依用される「音楽法要のお勤め」をされました。

夜席のご縁でしたが、多くのご門徒の方々が参詣され、熱心にお聴聞してくださいました。ご参詣の大半は男性で、地域の世話役をされている方々です。

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法座終了後、本堂下の会館にて新年会が開かれ、私が乾杯の音頭を取らせていただき、おいしい手作り料理を頂戴しました。

ご住職さま、坊守さま、総代の方、世話役の方が、次々とお酒やビールをお酌をしてくださり、杯は休む暇なく口に注がれます。

こうした宴は、お寺とご門徒の方々と、飲み語りながら親睦を深め、ご法義話ができる絶好のご縁だと思います。

宴たけなわになったころで、「北信流(ほくしんりゅう)」が始まりました。


YouTube - 北信流

この「北信流」とは、長野県の北の地域(北信地域)で行われている「主に宴会の席での中締めの儀式」をいいます。

招かれた側が、感謝や苦労をねぎらう意味でお酒を差し上げ、主催者がそれを返杯するという形で行われます。

    本日は盛大な宴会を催していただき誠に有り難うございます。この場をお借りして、本日ご苦労いただきました方々にお杯を差し上げたいと思います。

このように、このたびの専福寺さまの新年会では、まず、世話人代表の方の発声で「北信流」が始まりました。

次に、杯を受けるご住職さま、坊守さま、布教使、寺族の方、総代の方が中央に出て並びます。

そして、杯にお酒が注がれ、謡が唄われます。その間、二度杯を飲み干します。

謡が終わりますと、ご住職さまがお礼を申され、今度はお酒を返杯します。返杯の際は、謡に代わって「恩徳讃」を皆で斉唱し、宴会は中締めとなりました。

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長野県郷土資料によりますと、儀式で謡を唄うような習慣が残ったのは、「戦国時代に武将が出陣する折、主君の武運を願って行われたのが始まり」とのことです。

この「北信流」も「松代町が発祥」と言われ、別名「真田十万石流」とも呼ばれ、松代藩(武家)から興ったもののようです。

松代藩は「二度と徳川家に弓を引かない」ということで、武芸よりも学問や芸能が奨励され、江戸時代には能楽が盛んに行われたそうです。

こうして謡も武家から庶民に普及し、「感謝」や「お礼」を表すものとして、宴会で謡が「お肴(さかな)」という形で出されるようになったとのことです。

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専福寺さまの新年会は、中締めの後、まだまだ宴は続きますが、女性方が作られたおいしいカレーうどんを頂戴し、途中で退室させていただきました。

お酒はもちろんですが、どのお料理もおいしかったです。

私は、自宅ではあまりお酒を飲みませんが、他所に行くといくらでも飲む悪い癖があります。〔いくら何でも 土徳の地 信州で深酒(真宗)僧侶?では‥‥〕

このたびのご法縁、専福寺さま、ご門徒の皆さま、洵に有り難いご縁でございました。そして、本当にご馳走さまでした。   合掌

2011年2月17日 (木)

PET Bottle Cap 六字名号

長野別院のすぐそばには、有名な「信州 善光寺」があり、その山内には多くの寺院が軒を並べています。

昔から「遠くとも一度は詣れ善光寺」とか「牛にひかれて善光寺参り」と言われるように、雪の中でも全国各地より参詣者が絶えないようです。

昨年に引き続き、このたびも「牛にひかれて」ではなく、「親鸞聖人のご遺徳にひかれて善光寺参り」をさせていただきました。

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今年はここ長野も大雪で、善光寺の本堂前は、屋根から落雪の危険があるため、迂回して内陣参拝することになっていました。

善光寺本堂の手前(西側)には、松を手に持って奉納される親鸞聖人の「お花松銅像」が立っています。

これは「越後より関東に向かう途中、ここ善光寺に参拝され、ご本尊に松を供えられた」との故事から建立されたようです。

また、善光寺の山内には「親鸞聖人が百日逗留された」といわれる「堂照坊」もあり、親鸞聖人が笹の葉で書かれたという「六字名号(笹文字御名号)」が厨子に収められ、本堂に安置されています。

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ところで「六字名号」とは「南無阿弥陀仏」ですが、このたび親鸞聖人750回大遠忌法要を迎えるに当たり、長野教区では第1ブロック少年連盟合同で「ペットボトルのキャップ(PET Bottle Cap)で六字名号」を制作されるそうです。

第1ブロックは、北海道教区、東北教区、新潟教区、国府教区、長野教区、東京教区の6教区で構成されています。

6教区の子供たちが、それぞれ六字名号の1文字ずつをペットボトルのキャップで制作し、それを六角形のお名号にして、親鸞聖人750回大遠忌法要の期間中ご本山に展示されるそうです。

もうすでに長野教区では「南無阿弥陀仏」の「弥」を作られました。

子供たちが完成させた「六字名号」のお念仏は、すばらしいものになりそうです。

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これをご縁に、一人でも多くお念仏をいただいてもらえたら、有り難いことです。

2011年2月16日 (水)

信濃路の法縁

今回で16年目、今年も「長野別院の常例布教」で、お取り次ぎのご縁をいただいております。

ですから、本日のブログは、長野別院のネット回線をお借りして書いております。

ここ長野市は、勝山市と比較したら問題にならないほどの少ない積雪ですが、それでも「今年は珍しく大雪になった」とのことです。

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さて、本日16日は、宗祖親鸞聖人のご命日(月忌)にあたり、長野別院でも「親鸞聖人御命日逮夜法要」が勤まりました。

逮夜法要は、小人数のご参詣で、その寂しい姿を見て、本堂前の親鸞聖人像が厳しく迫ってくるような感を受けました。

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法要勤行は、副ご輪番、S師の調声で、十方に響き流れる声で勤まりました。

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    親鸞聖人のご生涯を偲び、「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたす
    けられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほか
    に別の子細なきなり」と、法然聖人との出会いによって念仏に遇った喜
    びを語り、お念仏を称えることは、阿弥陀さまの願いを聞くものである

本日のご縁では、このようなお話しをさせていただき、お取り次ぎの後、参詣の方々と茶話会で楽しく「語り合いの場」を持たせていただきました。

このように長野のお寺では法座終了後、必ず「茶話会」をされます。日常のお話し中からお念仏の教えを聞き開く「ご信心の伝統」なのでしょう。

信仰の座談を重視された蓮如上人も、「ものを言え、ものを言え」と言われ、「心底をさらけ出し、自らを今一度確かめよ」とお勧めです。

ですから、お互いに気兼ねなく話し合えるこの「茶話会の輪」に加わる「信濃路のご法縁」は、布教使として、また格別な楽しみなのです。

2011年2月14日 (月)

早く来い来い!

北国の春ほど、待ち遠しいものはないですね。

今年のような大雪の冬は、なおさらです。そして、この時期は各地で「春を呼ぶ伝統行事」や「お祭り」が行われています。

11日には、越前市の粟田部地区にて、継体天皇即位を祝う伝統行事「蓬莱祀(おらいし)」が賑やかに行われたようです。

私どもの勝山市でも、全国に誇る伝統行事「勝山左義長まつり」が、今月最終の土曜日(26日)、日曜日(27日)に行われます。

どの地域でも頭を悩ませているのが、「伝統文化を伝える担い手の減少」そして「担い手の育成」ということではないでしょうか。

各地の伝統行事では、ご高齢の方が一生懸命「絶やすまい、残さねば」と踏ん張っておられる中、「若手の地域への関わりが薄いこと」、「若手の参加意識も薄れ、世代交代が進まないこと」などが課題となっているようです。

これは、「お念仏の教え」においても、同様のことが言えると思います。

宗門では20数年来、基幹運動のスローガンを「念仏の声を 世界に 子や孫に」と掲げてきました。

例えば、一昔前には、どの家庭にも「お仏壇」がありました。

ですが、最近では都市化や核家族化が進み、仏間や和室のない住宅事情なども一因となり、「お仏壇離れ」が進んでいます。

お仏壇ばかりでなく、「宗教離れ」や「寺院離れ」が、さらには「葬式離れ」までもが、猛烈な勢いで進みつつあります。

私は、「むしろ、その種を蒔いているのは、僧侶が『門徒離れ』になっているからではないか」と感じています。

  ・ただのスローガンに終わっていませんか?
  ・お念仏の声が段々小さくなっていませんか?
  ・子や孫に本当に届けていますか? 届いていますか?

先ほどの「担い手」の事例と同様に、「寺檀関係」や「儀礼儀式」への依拠など、これまで当然のようにしか捉えていなかったことへの再認識が急がれます。

私とて、あぐらをかいてることは、もう十分に分かっているし、早急に取り掛からねばならないことも分かっている。でも、この重い尻はなかなか上がらない。

何かコレッて「茹でガエル現象」とよく似ているかも‥‥。

    鍋に水を入れ、そこにカエルを入れて徐々に温めていくと、カエルは居心地が良くなり、出ようともせず、最後には茹で上がって死んでしまいます。

    ところが、既に沸騰している鍋に入れられたカエルは、瞬時に飛び出し、結局は助かるというものです。

これは、環境が徐々に変化しているときには、往々にしてその変化に気付かないし、気付いたときには既に対応が手遅れになってしまうことが多く、得てして「致命傷になることへの警鐘」です。

サーッ! 気合いを入れて、仕切り直しましょう!

さて、話題が横道に逸れてしまいましたので元に戻します。住職に「勝山左義長まつり」に飾られる「行燈(あんどん)」への絵書きの依頼がありました。

この「勝山左義長まつり」では、道路上の色鮮やかな短冊や、その年の干支や吉祥形態にちなんだ「つくりもの」と共に、川柳と風刺画を組み合わせた「行燈」が櫓(やぐら)に吊され、祭りに賑わいを添えます。

住職は「何か協力を」ということで、2個の大行燈の正面に、7個の小行燈(絵行燈)の三方に、それぞれ川柳に合った絵を描いてくれました。

住職の絵は合計23枚です。(なかなかなものでしょう)

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このように庶民の気持ちを川柳や狂歌にし、行燈に託すのですが、各地区では「句を作ること」や「絵を描くこと」に頭を悩ませています。

地区によっては、「素人離れの絵」もあれば「なーんだコレ?」というのもあって味わい深いものです。

毎年、この「行燈作り」と「つくりもの」が完成すれば、もう祭りも半分終わったようなものです。

今日14日には、道路脇に白と赤の「のぼり旗」が設置されました。これでグーンと「勝山左義長まつり」が近づいてきました。

次回は、子供たちの太鼓や、お囃子の練習風景を取材してきますね。どうぞ楽しみにしてください。

2011年2月12日 (土)

真宗教団の行方

今日は久しぶりに午前と午後に永平寺町のJ地区老人会の法話に行って来ました。以前は地区の道場で法座を開いていたのですが、生活改善センター(名称・ふれあい会館)が出来てからは、地区行事はすべてそこで行われているようです。お寺とは違い冷暖房完備のすばらしい施設での法座でありました。大勢の参詣があり、道場主の調声で正信偈のお勤めをされ、熱心に聴聞してくださいました。お昼はお弁当を頂きながら道場主Aさんと語り合いました。

Aさんは「昔と違い、今はお寺や道場の法座に足を運ぶ方々はずいぶん少なくなりましたね。先日もご本山へ講社連盟の会合に寄せていただきましたが、驚いたのは、以前は全国に講社の数が800以上あったのが、今は300以下に減ってしまったのですよ。情けないことです。何とかならんものですかね‥‥。」と言われましたが、私自身「僧侶の姿勢が問われた思い」で返す言葉がありませんでした。いよいよ「お寺が消える」時代がやってきたようです。

先日は本願寺派総局が総辞職し、総長は再任で総務一新されました。筆頭総務に福井教区のT氏が入局しましたので、早速お電話で「おめでとうございます」と祝辞を申すと、「いやー、めでたいかどうかわかりません‥」と苦慮の様子でした。本当に大変でしょうが、総局にはこれからの宗門の方向性を真剣に考えていただきたいものだと思います。宗祖の七百五十回忌法要を機縁として、真宗教団の行方を僧俗ともに考えていかねばならないことと思います。

そんな折、北海道に布教巡回している法友H氏からメールが届きました。北海道の雪まつりが真っ最中とのことで、沢山の雪像作品の中に「西本願寺の国宝 飛雲閣の雪像(本願寺新報に掲載)」があるという。ぜひ見たいものですが、とても行けません。噂で聞くところによると、なんとその制作費用が四千万円かかったとか。そのうち本願寺(北海道教区?)が一千万円の助成金を出されたとか(真意は定かではない)。尚、雪まつりの開会式には総長が出席されたとのことです。それが本当ならたいしたものですね。

(私見ですが、雪害見舞い、火山灰被害の助成をしてもらえたら有難いです)