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2011年11月

2011年11月29日 (火)

西宮市のご正忌法要

先日、西宮市のS寺さまへご正忌報恩講法要の布教に行って参りました。S寺さまには、ここ数年、毎年この時期にご縁をいただいております。

S寺さまの境内外の駐車場には、インドの色とりどりの旗が飾られ、また、天候にも恵まれた三日間のご正忌法要には大勢の参詣がありました。

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法要では、ご住職が制作された「親鸞聖人讃歌」が勤まり、参詣者のお勤めの声が本堂いっぱいに響き渡ります。

勤行に引き続き「御伝鈔」の拝読がありましたが、なーんとかなりの高さがある高座の上で、ご住職ご自身が「御伝鈔」を拝読されるのです。

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布教は「歎異抄」のお言葉をいただいてのお取り次ぎです。ご参詣の方々は、それはそれは熱心にお聴聞くださり、本当に有り難いことでした。

法座の合間には、「ぜんざい」が振る舞われ、この「ぜんざい」に入っているお餅は、前日にご門徒の方々がつかれた「お供えのお餅」とのことです。

この「お餅」のように、おみがき、法要の準備から片付けに至るまで、ご門徒の方々が一丸となってご報謝される姿に頭が下がります。

また、お内陣のお荘厳も見事なものでした。

まさに「職人技」とも呼ぶべき見事な供花は、法務員さんが立てられたと聞き、驚きと共にその優れた技量にすっかり感服いたしました。

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私の背丈以上もある立派な供花です

こちらのご住職は、長くご本山の要職にも就かれ、多くの著書も執筆されている方なのです。

そして、学生時代より公私共に長くご指導をいただいているご住職なのですが、いつお姿を拝見してもお元気な方であります。

そんなご住職は、「阪神淡路大震災の時、お父さま、奥さま、娘さんの3人を亡くされる」という深い悲しみを背負われました。

ですが、その辛く大きな悲しみを乗り越え、現在も宗派とご自坊で頑張っておられます。

聞くところによると、夏の甲子園出場や、京都大学野球部での監督経験もあるご住職は、時々、本堂脇の広縁で30回ほど素振りをされるとのことです。

そのご壮健振りは、小学館発行の「サライ」6月号にも掲載されていますが、80歳になられた現在でも、衰えを感じさせない鋭いスイングなんだそうです。

S寺の皆さま、今回のご法要においても、大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。有り難うございました。

2011年11月21日 (月)

11月常例法座

雨が降っては止み、降っては止みするハッキリしない空模様が続く中、11月度の常例法座が終わりました。

そして、私たちが所属する「福井教区龍川組(りゅうせんそ)」内22ケ寺の報恩講も無事に勤まりました。

自坊の報恩講も勤まって、気が付いたら、もうすでに1ヶ月が経っています。

今更ながらですが、月日の立つのが早く感じる年齢になったことです。

今月の常例法座の午後の席には、若手布教使、坂井市のM師にお越しいただきました。

M師は36歳、お若い頃は、某有名劇団で役者をされていたそうです。

そんな経歴をお持ちのM師ですから、とてもハッキリした発音で、しかも大きな声で、終始聞き取りやすいお取り次ぎでした。

そして、M師は行信教校にて、しっかりと宗学の研鑽も積まれた方なので、初めてお聴聞される方でも分かりやすいお取り次ぎだったと思います。

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M師は、行信教校時代に共に仏法を学ばれた方とご結婚されたそうです。

そんな有り難いM師ご夫妻のご自坊が経営される保育園のエピソードを通し、ご讃題の「回向」を分かりやすくお取り次ぎくださいました。

  如来の作願をたづぬれば
  苦悩の有情をすてずして
  回向を首としたまひて
  大悲心をば成就せり

卒園式での園児と園長とのほのぼのとしたやり取りでは、その情景が浮かび、他力による「回向」の意味を、より深く味わわせていただいたことです。

そして、佐藤キナさんの「ひとりじゃなかもん」も歌ってくださいました。

  ただの一人も
  人生をむなしく
  さみしく感じたまま
  終わらすことはしない

  生まれてよかった
  生きてよかった
  死んで意味ある死をいただいた

阿弥陀如来さまの「そう思える人生を送らせる」と誓われた「願い」が成就していることをお聞きかせいただきました。

皆さん、M師のお取り次ぎに、幾たびも、幾たびも頷き、仏さまに寄り添われている暖かさを感じながら帰路に就かれました。

おかげさまで、このたびの法座も、本当に有り難いご縁となったことです。ナンマンダブ、ナンマンダブ。

2011年11月 9日 (水)

本向坊了顕

本日、市波の本向寺さまの仏婦報恩講に寄せていただきました。

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本向寺さまには、毎年この時期にご縁をいただきますが、いつ参りましても歴史の重さを感じます。

山門までの階段は四十八段になっています。(阿弥陀仏の四十八願を表す)

蓮如上人が吉崎にご逗留の際は、本向寺(当寺は本光寺)の五代目住職、了顕は蓮如上人にお仕えしていました。

    文明6年(1474年)の3月、本坊大火の際、蓮如上人が大切に拝読されていた「ご本典(教行信証)の『証』の巻」を持ち出せませんでした。

    それを耳にした本向坊了顕は、蓮如上人や側にいた人たちの制止を振り切って燃え盛る火中に飛び込みます。

    本向坊了顕がやっとの思いで、書院に辿り着くと、『証』の巻は、まだ燃えずに机の上にありました。

    『証』の巻を手にし、脱出しようとするのですが、もう火が四方に廻り、行く手を遮ってしまいました。

    ようやく手にしたお聖教、我が命に代えてもお護りせねば

    本向坊了顕は、自らの腹を切り割き、内臓の奥深くに『証』の巻を収める決意をし、腸をつかみ出し、『証』の巻を腹に押し込みます。

    吉崎御坊を焼き尽くした猛火も収まり、その焼け跡からは『証』の巻を切り開いた腹にしっかりと抱いた本向坊了顕の遺体が発見されました。

    蓮如上人は、涙ながらに本向坊了顕の顔を撫でると、それまで見開いたままの両眼を優しく閉じたと言い伝えられています。(真宗懐古鈔より)

その後、本向坊了顕の「お念仏の力(念力)」によって奇跡的に『証』の巻の焼失を免れたので「腹籠もりのお聖教」として伝わっています。

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このエピソードが、後に節談説教「血染めのお聖教」となって全国各地に語り伝えられていったのです。

実は、私たちがいつも拝読する聖典(勤行本)が「赤い表紙」になっているのは、本向坊了顕が命を懸けて守った「血染めの聖教」を表しているのです。

ですから、いただいてから聖典(勤行本)を開き、また、いただいてから聖典(勤行本)を閉じるなど、心して大切に拝読しなければなりません。

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私が吉崎別院に勤務していた頃、毎年4月の蓮如忌法要には、本向寺のご住職がお山(蓮如上人当時の御坊のあった小高い丘)で「本向坊了顕の絵説き」をされていました。

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仏婦報恩講では、導師をお嬢さまが勤められ、それはそれは素晴らしい声明でした。

そして、参詣された約百名の仏婦会員の方々は、熱心にお聴聞してくださり、本当に頭がさがります。

こうして先人たちがいのちを懸けて護り通してきた「お念仏の教え」を今一度再確認し、これからの人々に伝えていかなければなりません。

そんな思いをまた新たにさせていただきながら、紅葉が色づく土徳の地、美山を後にいたしました。

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2011年11月 3日 (木)

家庭法座 No.258 号

また会える そこはお浄土 蓮華の国

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私たちは、一生の間に数えきれぬほど
多くの人に出会い、そして、別れてゆきます。

生涯にただ一度の出会いが、忘れることのできない
大きな思い出となる場合もあります。

また、共に家族生活をして
長い間喜びや悲しみを共にする相手もあります。

しかし、どんなに愛し合っても、
いつかは別れなければなりません。

殊に死による別れほど悲しいものはありません。

ただ、その人と再び会える世界があります。

そこがお浄土です。

阿弥陀経に「倶会一処」とあります。

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今月の行事

  常例法座:11月20日(日曜日)午前・午後
  おつとめ教室:11月24日(木曜日)夜7時~8時

        どなたでもお参りください。