教学徳育
岐阜県の〇宗寺さまの報恩講法要のご縁をいただきました。
〇宗寺さまは、勝山から旧大野郡和泉村を抜け、東海北陸道を通り、関市より山間へ入ったところにある寺院です。
お話を伺うと、羨ましいことにこちらは「岐阜地方でも冬期間の積雪量が比較的少ない地域」なんだそうです。
報恩講はご住職が指導されている雅楽で賑やかに始まり、そして、報恩講の期間中は好天にも恵まれ、たくさんのご参詣がありました。
休憩時には、報恩講はもちろんのこと、総代さん方は年間の様々なお寺の行事に積極的に取り組んでおられることも耳にいたしました。
それもこれも、ひとえにご住職の平素のご教化の賜でありましょう。私などは格段の差があり、同じ住職として至らなさを痛感した次第です。
そんな〇宗寺のご住職は、「名古屋刑務所の教誨師」と「笠松刑務所の篤志面接委員」を16年間務められた方でもあります。
毎月の刑務所訪問では、受刑者の相談を受けたり、「釈放前教育」や「法事」などを行い、受刑者の社会復帰も支援されているそうです。
そして、昨年には拙寺へもご出講いただいたように、そのような経験を元に各地での講演へも出向いておられるそうです。
「同じ人間でも、境遇次第で左右されるのです
ですから、家庭環境がもっとも大事なのです」
このようにご住職は、いろんな講演の中で「子供の罪は、私の罪」と、刑務所へ毎月通われる高齢の母親のエピソードを語られるようです。
また、「教育」とは、もともと「教学徳育」の略で、「現代は『徳』という大事なものが抜けているのではないか」とのご指摘もありました。
いろいろ学ぶ点が多くあった〇宗寺さまの報恩講でした。
〇宗寺の皆さま、このたびも尊いご縁をいただき、誠に有り難うございました。
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