本向坊了顕
本日、市波の本向寺さまの仏婦報恩講に寄せていただきました。
本向寺さまには、毎年この時期にご縁をいただきますが、いつ参りましても歴史の重さを感じます。
山門までの階段は四十八段になっています。(阿弥陀仏の四十八願を表す)
蓮如上人が吉崎にご逗留の際は、本向寺(当寺は本光寺)の五代目住職、了顕は蓮如上人にお仕えしていました。
文明6年(1474年)の3月、本坊大火の際、蓮如上人が大切に拝読されていた「ご本典(教行信証)の『証』の巻」を持ち出せませんでした。
それを耳にした本向坊了顕は、蓮如上人や側にいた人たちの制止を振り切って燃え盛る火中に飛び込みます。
本向坊了顕がやっとの思いで、書院に辿り着くと、『証』の巻は、まだ燃えずに机の上にありました。
『証』の巻を手にし、脱出しようとするのですが、もう火が四方に廻り、行く手を遮ってしまいました。
ようやく手にしたお聖教、我が命に代えてもお護りせねば
本向坊了顕は、自らの腹を切り割き、内臓の奥深くに『証』の巻を収める決意をし、腸をつかみ出し、『証』の巻を腹に押し込みます。
吉崎御坊を焼き尽くした猛火も収まり、その焼け跡からは『証』の巻を切り開いた腹にしっかりと抱いた本向坊了顕の遺体が発見されました。
蓮如上人は、涙ながらに本向坊了顕の顔を撫でると、それまで見開いたままの両眼を優しく閉じたと言い伝えられています。(真宗懐古鈔より)
その後、本向坊了顕の「お念仏の力(念力)」によって奇跡的に『証』の巻の焼失を免れたので「腹籠もりのお聖教」として伝わっています。
このエピソードが、後に節談説教「血染めのお聖教」となって全国各地に語り伝えられていったのです。
実は、私たちがいつも拝読する聖典(勤行本)が「赤い表紙」になっているのは、本向坊了顕が命を懸けて守った「血染めの聖教」を表しているのです。
ですから、いただいてから聖典(勤行本)を開き、また、いただいてから聖典(勤行本)を閉じるなど、心して大切に拝読しなければなりません。
私が吉崎別院に勤務していた頃、毎年4月の蓮如忌法要には、本向寺のご住職がお山(蓮如上人当時の御坊のあった小高い丘)で「本向坊了顕の絵説き」をされていました。
仏婦報恩講では、導師をお嬢さまが勤められ、それはそれは素晴らしい声明でした。
そして、参詣された約百名の仏婦会員の方々は、熱心にお聴聞してくださり、本当に頭がさがります。
こうして先人たちがいのちを懸けて護り通してきた「お念仏の教え」を今一度再確認し、これからの人々に伝えていかなければなりません。
そんな思いをまた新たにさせていただきながら、紅葉が色づく土徳の地、美山を後にいたしました。
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