感動の出遇い
先日、岐阜県のS寺さまの永代経法要のご法縁をいただきました。同じ組内(そない)のK寺さまよりのご紹介で、今回が二度目のご縁となります。
S寺さまの境内地は、前回ご縁を頂戴した時よりも、さらに整備されていて、すばらしい景観でした。
こちらのご住職は、大学の教授も兼務しておられ、専門は「印度哲学」とのことです。そんなS寺さまの永代経法要には、たくさんののご参詣があり、皆さんそれはそれは熱心にお聴聞してくださいます。
そして、S寺さまと同様に、K寺さまでも法座がお勤まりになり、なんとご講師は、私が昨年の法座で紹介させていただいた「小児科医の駒澤勝先生」です。
駒澤先生は、昨年ご本山にて全国布教使大会で記念講演もされた方です。
実は、以前より「憧れの駒澤先生と懇談できる機会はないものか?」と、密かに思いを巡らしていました。
嬉しいことに、K寺さまの粋な計らいで、私の願いが現実となり、駒澤先生、S寺さま、私の四人でユックリと夕食を共にさせていただく機会に恵まれたのです。
仏道に生きる駒澤先生との飲み、語りは、感動のお話しばかりでした。
駒澤先生は、「安芸門徒」と言い表される「ご法地(お念仏のみ教えが行き届いた土地)」、広島県三次市のご出身です。
そんな土地柄ですから、篤信なご両親の元で養育されますが、医学の道に進んだ頃は、「念仏」や「宗教」に抵抗を覚え、反発さえしたそうです。
やがて、小児科医として患者を担当する中、不治の病と共に生きる幼児たちや、幼くして命を失う子どもを目の当たりにされます。
医療者として、嫌でも常に「いのち」と真向きにならなければならず、そのうち、誇りを持っていた「科学」や「医療」の限界を強く感じたそうです。
そんな「胸をえぐり取られるような苦悩」が契機にもなって、両親が喜んでいた「お念仏のみ教え」が、駒澤先生の脳裏をよぎります。
そして、いつの間にか「親鸞聖人」を求めるようになっていたそうです。
駒澤先生は、「まず、親鸞聖人の著書に触れよう」と『歎異抄』や『教行信証』の解説書を読みあさります。
しかし、出会った解説書のどれもが非常に難解で、誰に問い求めても納得いく答えが見出せず、何度も、何度も投げ出そうとされたそうです。
そんな時、星野元豊先生著述の注釈書『講解 教行信証 教の巻 行の巻』に巡り合われ、ようやく求めていた「心の支え」がつかめてきます。
それからは、難解だった言葉のひとつ、ひとつが、有り難くいただけるようになったとのことです。
駒澤先生は、『教行信証』の注釈書を肌身離さず持ち歩かれ、幾度も、幾度も読み返したその「注釈書」は、付箋で膨れあがっていました。
私は書物を買い求めても、なかなか読破できず「書棚に積読(つんどく)」になってしまいます。
そんな駒澤先生の「求道の姿」に頭が下がり、僧侶として恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。
身体の健康だけが幸せではない、たとえ病気であっても、仏法(お念仏)を聞くことのできる身になることこそが、本当の幸せである
今では、お念仏が無かったら生きていけない、お念仏が有ればこそ生きていける
K寺さま、S寺さまと共に、そんな駒澤先生の「医師であるが故の求道の歴程」をお聞かせいただき、喜びに溢れる一夜となりました。
K寺さま、S寺さまのおかげで、感動のお出遇いをさせていただいたことです。
このたびも、大変なお世話になり、誠に有り難うございました。 合掌
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