梅雨の法座
この梅雨の時期に台風の上陸は珍しく、各地で暴雨、風雨の被害をもたらし、台風4号が過ぎ去っていきました。
ここ勝山周辺では、朝方まで雨模様でしたが、常例法座が始まるころにはその雨も止み、皆さん、天候の回復を待っていたかのようにお参りされました。
今月の常例法座では、「歎異抄に学ぶ」ということで、「歎異編の第十四条の心」をお取り次ぎさせていただきました。
この「歎異編の第十四条」は、「ただ一度の念仏で、八十億劫という長い間をかけて償わなければならない重罪を滅すると信じなければならない」という異義です。
この考えによると、次のようになります。
念仏しなければ罪が残り、その報いとして地獄に落ちるのです。
とすれば、臨終の瞬間まで休むことなく念仏しなければなりません。
しかし、そんなことは至難のわざです。
歎異抄の著者とされる唯円坊は、親鸞聖人の教えによって、『滅罪の念仏』ではなく、罪の自覚に基づく『報恩行としての念仏』を示しています。
お念仏は「如来の働き」であります。煩悩具足の凡夫である私を「そのままで救い取ってくださる仏さま」であります。
そのご恩を喜び、報恩感謝させていただくのが「称名念仏」であります。
午前も、午後も、少し内容の難しい話となりましたが、参詣の皆さん熱心にお聴聞くださり、嬉しいことでした。
参詣の皆さんは、お念仏の法雨に濡れて帰宅されたことです。
ようこそ、ようこそのお参りでした。
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