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2010年6月 1日 (火)

出石(いずし)散策 その1

兵庫県豊岡市但東町のJ専寺様の永代経法要にお招きを頂きました。

今回で三回目のご縁です。

住職とは、龍大の同級生であり、大阪の行信教校で共に学んだ法友でもあります。

現在は布教使として活動されています。特に節談説教を得意として全国各地に出講されています。

ちなみに来る六月十三日(日曜日)には、鯖江市のS寺様に節談説教布教大会に出講される予定です。

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J専寺様へは敦賀から国道走り小浜より舞鶴自動車道に入り、福知山IC降りて出石に向かって山間部を走り、約五時間半で到着しました。

お寺の周りは新緑の山々で自然に囲まれた奥深いところにあります。

しかし、村の人口が年々減少し、子供も小、中学生がいなくて高校生が数人で、独居老人が多いと聞きました。

まさに限界集落であります。

私の寺院同様で、護持運営がなかなか大変であろうと思います。これからの真宗寺院の在り方が問われます。

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布教時間の合間に、近くの同じ組内寺院のT光寺様にお参りしました。有名な東井義雄先生のお寺です。

境内そばには、大きな石に先生の詩が書かれてありました。

「拝まない者も おがまれている。拝まないときも おがまれている」

阿弥陀仏は、お願いする仏さまではありません。仏さまが願ってくださるのです。

毎日、煩悩をかかえ煩悩に振り回されている私を悲しまれ、「お願いだから、気づいてください、目覚めてください、そして我が名(南無阿弥陀仏)を称えておくれ」と呼びつづけてくださっています。

私がどんな状態であろうが、いつでもどこでも働いてくださっています。

私が思っても思わなくても、願われ思われていることの有難さを気づかせていただきました。

写真を撮っていたら、田畑に向かう村人が合掌して行きました。

その姿を見て、東井先生の言葉が山間に住む村人の心に響いていることを感じました。