「おめでとう」の多い人生に
昨日は、敬老の日でした。
高齢者を敬う日、わざわざ特別に日を設け、殊更勿体付け、行事を行わなくても、「毎日が敬老の日」なのですよね。
母の日、父の日、こどもの日、お盆やお彼岸など、その日だけに限らず、常日頃から敬い、行動していればいいのですが、当たり前すぎて出来ないのが、私たちです。
ですから、「せめてこの日だけでも」ということだと思います。
当に「言うは易し、行うは難し」ということです。
20日の福井新聞に次のような内容の「サントリーの広告」が掲載されていました。
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「おめでとう」の多い人生に、おめでとうございます
一年に、「おめでとう」といわれる日は、何回ありますか。
あけまして おめでとう。
お誕生日おめでとう。
もしかしたら、それくらいかもしれません。
だけど、そんな「おめでとう」が
たくさんある人生って、しあわせですよね。
昨日より遠くまで歩けた。 おめでとう。
毎日メシがうまい。 おめでとう。
一緒に笑える友がいる。 おめでとう。
学び続けたいものに出会った。 おめでとう。
小さなことでも、「おめでとう」という言葉にすると、
人生は、もっと、楽しめる。
「おめでとう」といっぱい言える人生、
「おめでとう」といっぱい言われる人生。
それは、健康で元気だからこそ、味わえる。
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ウ~ン、最後一行には賛同できない私です。広告だからしかたないとして、それ自体(健康で元気)も、とても「おめでとう」なこと。
今日は、敬老の日。積み重なった「おめでとう」を心から味わう日。
今年も健やかに敬老の日を迎えられること。そして、すべての人生に、おめでとうございます。
77歳現役のプロスキーヤー、冒険家の三浦雄一郎さんは、80歳で3度目のエベレスト登頂を目指し、トレーニングに励んでおられるとのことです。
(さすが? サントリー セサミン!)
「しあわせなこと」や「おめでたいこと」は、「何でもない在り来たりの日常に一杯ある」ということですよね。
あまりに、在り来たりすぎて、見落としがちになってしまう私のために、「せめてこの日だけでも」という日が設けられたのですね。
(しばらく会っていない父にありがとう)
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