宗教都市 勝山
勝山市では、本日の午前と午後、「白山平泉寺などを拠点に栄えた中世の歴史に触れてもらおう」と「白山文化フォーラム」を開催しました。
2001年(平成13年)に初回を開催し、今年で10回目を迎える「白山文化フォーラム」となります。
また、11日付の地元各紙でも、「坊院跡で石垣や石畳道発見」と「2010年度発掘調査の中間報告」の記事が掲載されました。
そんな関連もあって、午前中の「平泉寺史跡見学会」には60人近くが参加され、2班に分かれての遺跡見学となりました。
私も、過日の「朝倉氏遺跡見学」の余韻もあって、どうしても「時同じくして消滅した宗教都市跡」を見たくなり、「平泉寺史跡見学会」に参加してきました。
見学会では、学芸員らの説明を受けます。また、見学者の素朴な質問などにも応じてくださる有意義な見学会でした。
717年、泰澄和尚が白山信仰を開いて以来、平泉寺は「山岳信仰」から「神仏混淆」になります。
平安時代、平泉寺は延暦寺末寺となり、1574年、一向一揆勢によって焼亡されるまで栄えていました。
最盛期には六千坊が境内に立ち並び、僧兵は八千を超えた一大宗教都市でした。
以後、境内の中心部は再興されますが、六千坊跡などの多くは、山林や田畑、人家の下に埋もれたままだったのです。
中世の平泉寺の様子を描いた絵図が見つかったことがきっかけとなって、平成元年より発掘調査が始まります。
この調査によって、坊院跡や石垣、石畳道、土器、陶磁器などが次々に出土します。
世界的にも十数点しか残っていない、中国、元の時代(1300年代前半)に作られたとみられる「青白磁の観音像の一部」も発見されました。
平泉寺は、まだまだ発掘途中ですが、その全貌が明らかになる過程の見学は、ワクワクするほどの楽しみがあります。
現在の発掘作業箇所です。手作業で、地道にコツコツと進められています。
埋もれていた石を積み直し、整備された石畳と石垣です。こちらも朝倉氏遺跡と同じく「復原」だそうです。
姿を現してきた石垣とその周辺です。井戸は見つかっていますが、便所については、まだ見つかっていないそうです。
これから、土塀の復原、平泉寺ガイダンスの建設など、着々と進められています。
朝倉氏遺跡とはまた違った視点から見る「中世都市の復活」を期待しつつ帰宅しました。
勝山のお寺は、この平泉寺六千坊の流れを継いでいる寺院も多いので、今度はそのあたりのところを尋ねてみたいところです。
とても興味があります。また、このような機会があったら勉強してきますネ。
今回は、これぐらいしておきますね。
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