みのりの集い
昨日の午前は「福井別院報恩講法要」のご満座に参詣、引き続き午後は「仏教婦人、みのりの集い」に参詣してきました。
私たちが所属する「福井教区龍川組(りゅうせんそ)」からは、4仏婦、36人がお参りさせていただきました。
この「ご満座参詣」と「みのりの集い」への参加は、「龍川組の恒例行事」となっています。
ですが、毎年この時期の福井別院の本堂は、身を切るような寒さで、足下からしんしんと冷え、震えるほどです。
今年も覚悟して、背中にカイロを貼り、完全防備で出かけたのですが、例年になく暖かく、返って上着を脱ぐほどでした。
福井別院の本堂は、仏教婦人の会員560人と、お同行の方々で満堂です。いつもながら、ご婦人方の底力を感じます。
午前中のご満座では、「藪内流献茶式」の後、福井教区の各組のご法中方の「宗祖讃仰作法」がお勤まりになり、雅楽も入って厳粛な法要でした。
ご法話は、新潟教区の麻田秀潤師です。親鸞聖人のご生涯を午前と午後、丁寧にお取り次ぎくださいました。
麻田師は、歎異抄第2条の「おのおの十四カ国の境を越えて・・・・」から引用され
関東の弟子たちは、「命がけ」で京都の親鸞聖人を訪ねます。
関東の弟子たちの間に、その「命より大切なもの」として受け取られてきた「往生極楽の道」に対する了解に、大きな揺らぎが生じたわけです。
弟子たちの問いに対して、親鸞聖人は「往生極楽の道」の説明をしたり、解説されるのではなく、親鸞聖人ご自身の「信念」を語られます。
親鸞聖人は、「ただ念仏して弥陀にたすけられられまいらすべし」との「法然上人の仰せが信念のすべてである」と言い切られます。
いまさら何をうろたえておいでか!
あれほど、お伝えしたのに!
当時の門弟の姿が、今のこの私にダブって感じられます。
また、「84歳の親鸞聖人が、我が子、善鸞さまを義絶されたご心境はいかばかりか」とのお話には、相づちを打ちながら聞き入ってしまいました。
自分よがりな聞き方で、都合のいいようにしか受け取れない私に、「そのまんま、そのまんま」と、微笑んでくださる親鸞聖人のお姿が目に浮かぶようです。
ご法話の後、「コール朋の輪」の皆さんが「ごおんうれしや」、「ありがとう」などの仏教讃歌を歌われました。
なんとも言えない優しい歌声で、心に「ありがとう・・・・」と響いてきました。
一日、仏婦の方々と一緒に、法の水にドップリ浸かることができたことに、やっぱり「ありがとう・・・・」でした。
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