初法座
雪の新年を迎えさせていただきました。
家族全員で本堂前と庫裏を除雪して、午後2時より「修正会法要」を勤めさせていただきました。
雪の降る中を遠近各地よりお参りくださいましたこと、本当に、ようこそ、ようこそのお参りでございます。
皆さんでお正信偈のお勤めをして、年あらた、こころあらたに、ご法話させていただきました。
その後、御流盃の儀として、お供えのお酒を酌み交わし、記念撮影をして語り合いました。
ところで、本年はいよいよ「親鸞聖人七百五十回忌法要」をお迎えいたします。
次の写真は、某冊子に載っていたものです。
宗祖、親鸞聖人の「世の中安穏なれ 仏法ひろまれ」と願われた心を、今一度考えていかねばならないと思います。
昨年読みました「今、ここに生きる仏教(ご門主と上田紀行氏の対談集)」の中に、ご門主が「ハンドルとしての教え」と「エンジンとしての教え」ということを指摘されていました。
布教のする中で、今までの教えはハンドルみたいなもので、「道を
間違えてはいけない、正しい方向へ行こう」と一生懸命言っても、
エンジンが無いから、必死にハンドル回しても前に進まない。
エンジンで前に進むような、元気の出てくるような教えを研究する
ことが大切だ。
ご門主の著書により、改めて教えられました。
なるほど、いくら知識、論理で語っても、行動につながらない。
やはり、「信心によってエネルギーが湧いてくるような布教」でなければならないことを知らされました。
阿弥陀さまの心を頂いた人は、教えが行動に現れることです。
今年頂いた年賀状の中に、M先生の言葉が有難く読ませていただきました。
昨年お母さんを亡くされたご住職がその思いを次のように詠われてありました。
めでたくも こころ寂しい お正月
浄土(みくに)に往きし 母を想えば
浄土真宗のみ教えをいただくことは、どんな悲しみの中であっても、立ち上がって行く力を頂きます。
本願力というお念仏によって支えられ、乗り越えて人生を歩ませてもらいます。
今年は「ハンドル」だけでなく、「エネルギーのある教え」を語りたいものです。
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