法話の会のご縁
今年も「S苑」と「W苑」にて、お取り次ぎのご縁をいただきます。
昨日、「また今年もお会いできる」との喜びを噛み締めながら、S苑に寄せていただきました。
施設に入るなり、入所者の方から、「今日か、今日かと、待っていたんですよ」と、嬉しいお言葉を掛けてくださる。
訪ねて行ける場所があり、そこに待っていてくださる方があり、そして、そこに私の居場所がある。本当に有り難いことです。
さて、この週末に大学センター試験が行われます。そして、来年には、末っ子が大学受験の年にあたります。
親からしてみれば、長い、長い、この育児の期間に卒業ができるという「安堵感」と、子供が卒業するまではという「責任感」や「緊張感」があればこそ、「がむしゃらにここまでやってこれているのかな?」という思いもあります。
武田鉄也さんが演じた「3年B組 金八先」での名言が浮かんできました。
人という字
この人という字も、人と、人とが、支え合っている
人という字は、1人では出来ないんです
人という字は、あなたと私で出来ているんです
子供の成長と共に、これまであまり意識しなかった「持ちつ持たれつ」とか「お互いさま」などの「古き良き言葉」が、ズッシリ沁みる身にさせていただきました。
う~ん、「何が言いたいのか」というと、縁あって大学に合格し、合格証書と入学許可書をいただいたならば、4月からは晴れて大学生です。
そして、3月いっぱいまでは高校生ですが、ちゃーんと大学に指定席をいただいているのですから大丈夫です。どうぞ安心して高校生を全うしてください。
でも、合格証書をいただいているのに、「本当に大学へ行けるのだろうか?」などとと疑う人はいないはずですよね。
私たちも、しっかり「お浄土に指定席」をいただいております。お念仏一つの切符を持って、お浄土行きの列車に乗ったのです。
如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて
大悲心をば成就せり ( Ref『正像末和讃』註釈版 P606 )
つまり、「すでに功徳の中に生かされている自分であった」ということ。
ですから、「有り難う、ご苦労さま、お陰さま、もったいない、すみません」と手を合わせてお念仏を申し、報恩感謝の日暮しでありたいものです。
昨日は、午後からお日さまが差す良いお天気になりました。夕方、S苑からの帰り道、あまりの眩しさにパチリ。
そして、今日は、W苑に寄せていただきました。
S苑のみなさん、W苑みなさん、今年もよろしくお願いいたします。
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