いのちの願い
昨日の18日(金曜日)、市内の鹿谷町保田地区のサロンのご縁に寄せてもらいました。今回で4度目のご縁となります。
こちらの地区は、参加者のなんと「三分の一が男性」という頼もしい地域です。
皆さんで歌っていただくと、「まるで混声合唱団(ちょっと言い過ぎ?)」のように素敵に聞こえてきます。
今回、保田地区のサロンでは、次のようなお話しをさせていただきました。
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長生きの秘訣(実は長息の秘訣?だったりして)は、息を吐くことを忘れないことです。息を吸ってしっかりと吐く。息を吐くから吸えるのですよ。
それをなんとか呼吸したいばっかりに、息を吐くことをせず、ひたすら吸おう、吸おうとすると、亡くなる羽目にもなりかねません。
だから、人が亡くなったときには、「息をお吐き取りになりました」ということはなく「息をお引き取りになりました」となるのです。
逆に、危機的な状況で蘇生できると「息を吹き返す」といいますよね。
息を引き取って「死」、息を吹き返して「生」となり、呼吸のたびに「生」と「死」を繰り返しています。
人が生まれる時には、まず「おぎゃあ~!」と泣きます。産道を出るや否や、力の限り泣いて息を吐き続けるのです。
仏教的に申せば、息を吐き、このたびめでたく尊く、六道の人間界(娑婆世界)へ、「いのち」のご縁をいただくことができたのです。
六道を輪廻をしながら、六道のどこかに息を吐いて生まれ、六道のどこかに息を引き取って終えていたその「いのち」の繰り返しが。
そして、誕生の瞬間、当の本人は泣き、見守る周囲は慶んでくれる。
やがて人間界の縁が尽き、死に直面した当の本人は、「おかげさまでいい人生だった、先に行って待ってるから」と、その「息」を引き取っていく。
また、周囲の死を看取る者たちは、惜しみ泣く中にも「お疲れさまでした、私たちも後から行きますからね」と、その「息」を引き継いでいく。
その「息」を引き取った暁には、瞬時に阿弥陀如来さまの世界、お浄土へ参らせていただき、仏さまとして永遠の「いのち」をいただくのです。
今度は、「生」と「死」を繰り返すことのない永遠の「いのち」です。
ですから、死を看取り、その「息」を引き継いだ愛しい人との死別でも、これが永遠の別れではなく、必ずお浄土で仏となって再会できるのです。
お念仏のご縁は、愛しい人が息を引き取られる際に「さようなら」ではなく「お浄土でまた会いましょうね」と、受け取っていく道に導かれます。
お浄土で会える。このことひとつを伝えていける人生でありたいものです。
吐く息、吸う息、ひとつとして「我が力」で出来るのではなく、浄土真宗の「他力」とは「その目覚め、自覚の宗教的表現である」といえます。
共通の起源を持つ「息(呼吸)」と「生き」です。
どうぞ皆さん、お念仏と同様に、吐く息も、吸う息も慶ばしてもらい、「いのち」の輝く生き方(息方)をさせていただきましょう。
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昔から「袖触れ合うも多生の縁」と言います。
ですから、「どんな縁も、生かし切れる生き方」すなわち「何よりも、まず自分自身が、生まれてきて良かった」そして「自分自身が、生きてきて良かった」と言える身になることです。
つまり、「死んでなお、意味がある人生をいただいた」と生き切ること、それが「人間として生まれた生きがい」かもしれません。
保田地区の皆さん、次回のご縁、楽しみにしております。
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