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2011年2月18日 (金)

北信流お盃の儀

本日も、信州長野県からお届けして参ります。昨夜は、院外布教で長野市の専福寺さまにご縁をいただきました。

2月の法座は新年会を兼ねての法座で、勤行では大遠忌法要で依用される「音楽法要のお勤め」をされました。

夜席のご縁でしたが、多くのご門徒の方々が参詣され、熱心にお聴聞してくださいました。ご参詣の大半は男性で、地域の世話役をされている方々です。

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法座終了後、本堂下の会館にて新年会が開かれ、私が乾杯の音頭を取らせていただき、おいしい手作り料理を頂戴しました。

ご住職さま、坊守さま、総代の方、世話役の方が、次々とお酒やビールをお酌をしてくださり、杯は休む暇なく口に注がれます。

こうした宴は、お寺とご門徒の方々と、飲み語りながら親睦を深め、ご法義話ができる絶好のご縁だと思います。

宴たけなわになったころで、「北信流(ほくしんりゅう)」が始まりました。


YouTube - 北信流

この「北信流」とは、長野県の北の地域(北信地域)で行われている「主に宴会の席での中締めの儀式」をいいます。

招かれた側が、感謝や苦労をねぎらう意味でお酒を差し上げ、主催者がそれを返杯するという形で行われます。

    本日は盛大な宴会を催していただき誠に有り難うございます。この場をお借りして、本日ご苦労いただきました方々にお杯を差し上げたいと思います。

このように、このたびの専福寺さまの新年会では、まず、世話人代表の方の発声で「北信流」が始まりました。

次に、杯を受けるご住職さま、坊守さま、布教使、寺族の方、総代の方が中央に出て並びます。

そして、杯にお酒が注がれ、謡が唄われます。その間、二度杯を飲み干します。

謡が終わりますと、ご住職さまがお礼を申され、今度はお酒を返杯します。返杯の際は、謡に代わって「恩徳讃」を皆で斉唱し、宴会は中締めとなりました。

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長野県郷土資料によりますと、儀式で謡を唄うような習慣が残ったのは、「戦国時代に武将が出陣する折、主君の武運を願って行われたのが始まり」とのことです。

この「北信流」も「松代町が発祥」と言われ、別名「真田十万石流」とも呼ばれ、松代藩(武家)から興ったもののようです。

松代藩は「二度と徳川家に弓を引かない」ということで、武芸よりも学問や芸能が奨励され、江戸時代には能楽が盛んに行われたそうです。

こうして謡も武家から庶民に普及し、「感謝」や「お礼」を表すものとして、宴会で謡が「お肴(さかな)」という形で出されるようになったとのことです。

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専福寺さまの新年会は、中締めの後、まだまだ宴は続きますが、女性方が作られたおいしいカレーうどんを頂戴し、途中で退室させていただきました。

お酒はもちろんですが、どのお料理もおいしかったです。

私は、自宅ではあまりお酒を飲みませんが、他所に行くといくらでも飲む悪い癖があります。〔いくら何でも 土徳の地 信州で深酒(真宗)僧侶?では‥‥〕

このたびのご法縁、専福寺さま、ご門徒の皆さま、洵に有り難いご縁でございました。そして、本当にご馳走さまでした。   合掌