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2011年7月20日 (水)

阿難の問いと喜び

今月の常例法座は、ご講師に藤枝宏壽先生をお招きいたしました。

藤枝先生は、真宗出雲路派了慶寺のご住職で、福井医科大学名誉教授であり、さらには、「現代に真宗の勤式を考える会」の代表、「仏の子を育てる会」の代表もされています。

そして、藤枝先生は、多くの著書も執筆されておられる方です。

ですから、「ぜひ一度、拙寺でもご法話を」と以前より計画し、このたびようやくその念願が叶い、猛暑の中をご出講いただきました。

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藤枝先生は、「阿難の問いと喜び」というご講題で「浄土和讃の大経讃」を通し「釈尊(お釈迦さま)の出世本懐と、阿難の喜び」をお取り次ぎくださいました。

    それは、大無量寿経が説かれるの時のことです。

    阿難尊者が座より立ち上がって前に進み出、常とは全く異なる光り輝く釈尊のお姿を仰ぎ見、「世尊よ、今日はなんと素晴らしい姿をしていらっしゃるのですか?」そして「それはどういうわけで、光り輝く阿弥陀さまのようなお姿になられたのでしょうか?」と問います。

    釈尊は、「阿難よ、よい質問をしてくれたね。実は、私は弥陀の悲願を説くためにこの世に生まれて来たんですよ」(真実之利)と仰って「阿難よ、私はこれからそなたのために詳しく説くからよく聞くがよい」と仰います。

    阿難は「はい、喜んで聞かせていただきます(願楽欲聞)」と答えられたのです。

ご法話のお心をいただきますと、「阿難」は「凡夫である私」を指し示し、「お釈迦さまがこの世に現れたのは、阿弥陀さまの本願を説くため」との「釈尊の生まれ甲斐」を聞いて、「私自身の生まれ甲斐」を知らされて喜ぶのです。

そのことを正信偈には、
   如来所以興出世 唯説弥陀本願海
   五濁悪時群生海 応信如来如実言

    意訳:教主世尊は弥陀仏の 誓い説かんと生まれたもう
       にごりの世にしまどうもの おしえのまこと信ずべし

考えて見ますと、「人間」としてこの世に生まれ、何年か娑婆世界に滞在して、この「いのち」を終えていきます。

臨終の間際になって「なんのために、私は生まれて来たのか?」とか「俺のこの人生は、一体なんだったのか?」と「虚しく終わっていく人生」では情けないですね。

せっかく「人間」として生を受けたのですから、「生まれてきてよかった」、「お念仏に出遇えてよかった」と言える人生をいただくのが「生まれた甲斐のある人生」です。

実は、「私がこの世に生まれたのは、阿弥陀さまのご本願を聞くために生まれて来たのですよ」と、この私に成り代わり、阿難尊者が尋ねてくださったのですね。

そして、そのことに気付き、問い求めてくれたことをお釈迦さまは喜んでくださったのですね。

藤枝先生には、尊いご縁をいただきました。本当に心に染みる有り難いご縁でした。

寺族、門信徒一同は、この猛暑も忘れさせてくれる「念仏の風光」を頂戴したことです。