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2010年7月 9日 (金)

越中おわら風の盆の旅

7月6日(水曜日)は、年に一度の「福井教区寺族婦人の研修旅行」でした。

今年の研修旅行のメイン企画は、「風の盆」発祥の地でもある富山市八尾町の聞名寺様への参詣です。

かねがね、「一度、本場で、生の踊りを見たい」と思っていましたので、研修旅行募集の知らせに「ヨシッ!何が何でも行くぞ」と、すぐさま申し込みました。

きっと、皆さん、思いは同じだったんでしょう。旅行の当日、急に都合が悪くなった方もありましたが、「40名の定員一杯の参加」という盛況ぶりでした。

福井より富山までの行程の3時間半は、アッという間に過ぎ、最初の目的地、聞名寺様に到着し、まずその伽藍の立派さに、ただただ驚くばかりです。

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聞名寺様では、ご住職の霧野雅麿様のお出迎えを受け、一行は堂内に案内され、最初にお寺の歴史を伺いました。

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聞名寺様が、三方を崖に囲まれたこの地に移られ、建立されたのは460余年前とのことです。

そして、聞名寺様の開基は、なんと720年ほど前にさかのぼり、第3世、覚如上人のお弟子となられた「覚淳」といわれる方だそうです。

開基の覚淳様は、美濃で道場を開き、続いて飛騨に拠点を移し、その後、戦国末期の不安な情勢から逃れるように、現在の地、八尾町に移られたそうです。

そして、この八尾町は、聞名寺様の門前町として栄えます。

以来、時の有力者と親交を重ねながらも、名もなき庶民たちの「心の支え」、「心のよりどころ」となり、脈々と存続してきたとのことでした。

そして、いよいよご住職の説明は、「おわら踊り」についてです。この「おわら踊り」の歴史は、意外と浅く「昭和になってから」とのことです。

いくつかのイベントに合わせ、「この八尾の町に何か代表となる踊りを」と考えられ、改良も重ねられ、現在に至っているとのことでした。

ことにここ数年は、テレビや、歌本などで用いられたため、アッという間に「おわら踊り」が、全国に知れ渡ることになります。

9月1日~3日の「おわら踊り」の本番「町練り」では、普段4500人ほどの八尾の町が、何十万人の観光客でひしめき合うそうです。

開催期間中は、トイレに行けないほどの人ごみで、肝心の「おわら踊り」を見ることができない観光客も多いとのことでした。

この「おわら踊り」の由来は、養蚕で生計を立てていた庶民が、お盆の時期は忙しくてお墓参りさえもできず、9月に入って秋風が吹くころにようやくお盆が迎えられたことから「風の盆」と言われるようになったそうです。

聞名寺さまのご厚意で、本堂で「おわら節」を見せていただきました。

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この「おわら踊り」には、「勇猛な男踊り」と「上品な女踊り」があります。

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しなやかで優雅な「女踊り」は、編笠をかぶり、踊り手の顔が見えない所もあって、かえって艶っぽく映ったのは、私だけでしょうか?

これは、「編笠をかぶれば、みんな平等に、遠慮なく踊れるだろう」との配慮からだそうです。

そして、男性の力強く、歯切れのよい「男踊り」は、艶やかな「女踊り」とのコントラストがとてもマッチしていて、それはそれは素敵でした。

実際に拝見するまでは、「覚えて帰って踊ろう」などと、大胆不敵なことを思っていました。

しかし、踊りをマスターするには相当な練習が必要なことを痛感し、すぐに「これは絶対に無理」と諦めました。

こんなにゆっくりとお寺の本堂で、それも目の前で、生の踊りを拝見でき、最高の旅行となりました。

今回、「福井市のT寺様と聞名寺様がご親戚」ということで、本当によくしていただきました。

聞名寺様を後にし、観光会館で5月3日に行われる曳山祭の三基の曳山を見学し、八尾の街も散策しました。

八尾の街は、門前町、城下町の古いたたずまいを残し、電線は地中に埋めてあり、除雪溝を流れる水は「せせらぎの音」とも化し、風情をかもし出していました。

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こうして楽しい研修旅行も無事終わりました。お世話してくださった役員の皆様、温かく迎え入れてくださった聞名寺の皆様、本当に有り難うございました。


2008年9月3日、雨が降り続く、越中八尾のおわら風の盆にて
聞名寺で行われた聞名寺風の盆講中の方々による舞台踊り