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2010年8月19日 (木)

人間のエゴ

梅雨明けと同時に猛暑が続き、旧盆前後に局地豪雨に見舞われた今年の夏です。

そして、人間は急激な温度変化に対応できず、熱中症により病院に搬送される人が相次いだ夏でもあります。

18日付の新聞によると、なんとその数は3万人を超え、直後に亡くなった人は132人、福井県でも10人が亡くなったというのだから驚きです。

それに比べ、寺の境内の草は、猛暑だろうが、雨が降らなかろうが、おかまいなしの知らん顔です。

日照りの時は「ジッと我慢の子」であったのに、雨が降るとアッという間に伸びている。

水分を吸収した時の勢いの凄いのなんのって、「エーーッ!いつの間に」と目を疑うほどである。

私にとって夏は、草むしりとの戦いです。

ですが、よく考えてみると「雑草」という名の「草」はなく、人の都合で「雑草」と呼び、これまた人の都合で害あるがごとく根こそぎ引っこ抜いてしまう。

同様に、「雑魚」という名の「魚」もいない。「雑菌」という名の「菌」もいない。食べ残しや残り物であって「残飯」という食べ物はない。

このような「人間のエゴからつけている呼び名」は、数え切れないほどある。

人間は、生物の霊長のごとく振る舞い、人の都合の悪いことはお構いなしに取り除いていく。

口蹄疫で家畜類が殺処分されたとき、「なんてかわいそうに」という声もたくさん聞かれた。

また、家畜主も「どうか感染していない家畜は、殺さないでほしい」と哀願されていた。

しかし、この場で殺処分されなくても、いずれ食肉用として処分されることには違いない。

野生動物は、欲張らず、自分の住処と必要な餌だけを確保し、慎ましやかに生きている。

ところが、我々人間は「これでもか、これでもか」と、必要以上に欲の塊と化している。

私も、直接に手は下さなくとも、しっかりその恩恵を被っている。

いつになったら小欲知足になれるのだろうか?

クダクダと言いながら、目先の欲徳に必死になって日々を送っている私。

そして、今日も「なんで草って、こんなに早く伸びるの?」と、ぼやきながら草と闘っている私。

引っこ抜いても、引っこ抜いても、次から次へと生えてくる草に、私の欲をダブらせながら、終わりなき戦いに挑むのである。

しかし、私が勝ったこともある。

それは、これだけ汗を流しても、絶対に痩せない私の体重である。

これが本当の「雑草魂」である。