道場めぐり
平成19年の春より、浄土真宗本願寺派の住職たち5人で「道場研究会」なるものを発足しています。
北陸の各地で「道場」と呼ばれる「聞法の道場」が、門信徒と各寺院とのパイプ役を担い、身近なお聴聞の場を提供してきました。
現在、それらの道場は、後継者難や過疎、少子高齢化など、さまざまな事情から存続の危機に瀕しています。
住職たちは、「現存する道場を、せめて今のうちに記録として残しておきたい」との思いから、忙しい法務の合間を縫って、こつこつと取材を重ねてきました。
私は、そんな住職たちの背中を「なかなか大変な作業、よく続くなあー」と見送っていました。
そして、今回、私の知人を介し、2ヶ所の道場からお話を聞ける機会が得られましたので、私もその取材に同行させてもらいました。
その道場は、勝山で一番奥深い北谷地区に位置し、石川県と境を接する県内屈指の豪雪地帯にあります。
この北谷地区は、一晩で1m以上もの雪が降り積もることもあり、屋根雪下ろしや雪かきのご苦労は、拙寺の周辺とは比べものにならないほど大変なところです。
そして、北谷地区の多くは高齢者世帯で、「将来、存続すら難しくなる」と心配する声が聞こえてくる典型的な過疎に悩む山村です。
そんな立地にある2か所の道場は、石川県松任市にあるH寺支坊の道場で、次のようなご縁で道場が建ったそうです。
その昔、木根橋村では、H寺のご住職を織田信長の追手からかくまわれたそうです。
その織田の軍勢が、今度は木根橋村にも迫りくるという知らせがあり、木根橋村のさらに奥の小原村で、H寺のご住職をかくまわれます。
しかし、H寺のご住職は織田の軍勢に見つかり、殺害されてしまいます。
木根橋村、小原村の両村では、自然石の墓を建て、亡きH寺のご住職を偲びます。
そのご縁で、福井県のお隣の県、石川県松任市のH寺支坊の道場が木根橋村、小原村の両村に造られ、今日に至っています。
この木根橋道場は、拙寺よりも大きく、間口は七間半、奥行きは十一間半あり、現存する道場では県下一の大きさです。
創建は450年前とのことで、何回か修復もされ、その「お寺となんら変わらぬ造り」と「お荘厳の素晴らしさ」には圧倒されました。
かつては100件ほどあった木根橋地区の集落も、今では20件ほどになってしまいました。
そんな中で道場の世話方を選出し、世話方を任命された方は、自宅から道場へ通って日々のお給仕をされます。
現在の木根橋道場の世話方は、大山口さんです。明治時代の頃から7代目の世話方になるそうです。
大山口さんより、毎朝のお勤め、月3回のお講、その他に報恩講や元旦会など、少しづつ道場の修繕をしながら、しっかり護持されていることを伺い、頭が下がる思いでした。
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木根橋地区に続いて小原地区へ移動です。
この小原地区には、現在2人の方が住んでおられます。
小原地区の区長さんは、小原から市街に住居を移されてはいますが、市街から小原に通い、畑や山林などの管理をされています。
また、区長さんは、小原に住む老人2人を見守ってもおられます。
小原地区では、月に一度、離郷された元区民の方々が道場に集まり、報告や今後の活動の打ち合わせなどをされているとのことでした。
そして、小原道場では、報恩講もしっかり勤まるそうです。
集落のほとんどの方が離郷されたとはいえ、その郷土を愛する強い思い、仏法を尊ぶ姿に頭が下がります。
住職たちの「道場研究会」では、各地の道場を巡っていくと、知らない新たな道場がどんどん浮かび上がってくるそうです。
そもそもこの北陸の地には、どれほどの道場があったのでしょうか?
その道場のひとつ、ひとつで「お聴聞がなされていた」と思うと、信仰の強さ、深さを思い知らされます。
また、今回の取材で、お寺の在り方を再確認することもできました。
いずれ「道場研究会」の取材は、本になるそうです。この分だと、出版はいつになるやら見通しはつきませんが、どうぞ、気長にお待ちくださいね。
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