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2011年1月23日 (日)

鹿谷サロン

21日、鹿谷地区のサロンに行ってきました。20日の御正忌法要の空模様とは打って変わって、すこぶる良い天気となりました。(ウ~ン、やっぱり誰かの・・・・)

鹿谷地区のサロンにも、やっぱり20日の御正忌法要と同様、雪深い中を50~60人の参加がありました。有り難いことです。

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サロンの最初は、やはり「リラックス体操」です。いつものように、「脳の活性化のための手遊び」から開始させていただきました。

ネッ! 皆さん楽しそうでしょう! これでグッと親近感が湧き、皆さんとの対話のキャッチボールもスムーズ?に進むのです。

イエ、「進められたらいいなー」という思いで、取り入れています。

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きっと皆さん、「G(元気で)」、「N(長生き)」、「P(ぽっくり)」という願い事をされたことでしょう。

しかし、どんなに願っても、どんなに祈りすがっても、悲しいかなこの身は、老いて病気になって、死んでいかねばなりません。

そればかりか「老少不定の身」でもあるのです。

だからこそ「何があっても大丈夫」という「安心」を得たいのです。それが「教え」であります。

中村先生のコラムの中に、ご高齢の方や、山村で生活している方は、相当なユーモアの持ち主で、それが「生活の知恵」でもあり「長生きの秘訣」とも思える内容がありましたので、再掲載します。

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あるおばあちゃんとの「診察会話」より

    ばあさま:自分が、まさかこんなに
         長生きをするとは思わんかった
         先生! わたしゃー、いつまで生きるんですやろ?

    中村先生:ウ~ン、多分、死ぬまで生きるんでしょうね

    ばあさま:そりゃあ、間違いない! それでも
         早くお迎えが来んかなと、いつも願っとります

    中村先生:それなら「二週間後にお迎えがきますよ!」って
         言われたら、どう感じますか?

    ばあさま:そりゃあ、困りますわー
         だって、まだ、死にとうないですから

    中村先生:アレレ、さっき言ったことと違いますね
         なんだかんだ言いながら
         ホントは、長生きしたいんでしょう?
         すでに長生きしていますけど

    ばあさま:でも先生、長生きも、こんなに腰が
         曲がってしもうたら、もうあきませんわ

    中村先生:腰はともかく、根性は曲がっていませんか?

    ばあさま:アッハッハッー
         根性は、若い時から曲がっとるから
         今更どうってことないですわ

    中村先生:別に威張ることないですわ

    ばあさま:でも、物忘れが激しゅうなって
         ほんの少し前のことも、すぐに
         忘れてしもうて、あきませんわー

    中村先生:もしかして、死ぬことも忘れていませんか?

    ばあさま:アッ! そういえば90年ほど
         死ぬのを忘れとった! アッハッハッー

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中村先生が「縁」も「ゆかり」もないこの地で、20年もの長きにわたって「医療活動を継続できた理由」を次のように語っておられます。

  こんなにもたくましく、ユーモアたっぷりの
  地域の方々に癒され、励まされてきたから

昔は、家で生まれ、家で死んで逝かれました。「生」と「死」が、包み隠されることなく、生活の中で見ることができたのです。

名田庄村では、「今でも4割近くの方が、家で治療を受けながら、そして、最後を迎えられる」といいます。

さらには、「おまえも、中村先生に診てもらって、家で死んで逝け!」と、夫婦で、家族で、そんな会話が出来るそうです。

安心して任せられる医者がいて、安心して死んで逝ける地域が、そこにあります。

では、私たち僧侶はどうでしょう?

あの住職の元でなら、安心して生きていける、また、安心して死んで逝ける。果たしてそんな信頼関係を築けているだろうか?

厳しい課題です。