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2011年2月

2011年2月 8日 (火)

スッキリした

気になっていたことが片付くと「スッキリ爽やかな気分!」になりますね。

先日の「この冬2度目の屋根雪下ろし」で本堂の入り口が埋もれてしまい、しばらく本堂右側の式台の玄関を利用してもらうことにしていました。

私、「この下ろした屋根雪は、晴天が続き、そのうち自然に溶けてくれるのでは」という「甘い期待」もしていたのです。

が、例年とは桁違いの雪の量です。次の降雪に備え、「少しずつでもコツコツと人力でやるしかない」と合間をみては排雪しています。

残念なことに、所有するエンジン付きの家庭用除雪機では、この下ろした固い屋根雪には歯が立たないのです。

でも、何事も積み重ねが大事で、千里の道も一歩からです。先ずは始めないと。

で、ご覧ください。本日、見事に参道が貫通しました。まだ「完全」とはいきませんが、何とか本堂の入り口まで到達できました。

Dsc02701 Img_2221

ウォーーッ! すご過ぎる。大感動です。一人で喜んでいます。ヨシッ! これでお参りの方も、楽に向拝(ごはい)から出入りできます。

思わず「いい仕事してますね~」と「by 中島誠之助」って感じで自画自賛です。

実は、もうひとつ、スッキリしたことがあるんですよ。

誰もが一度は、次のような経験をしたことがありますよね。
  ・喉元まで出かかっているのに思い出せないとき
  ・なぜ?なぜ?と思っていても、解答が得られないとき

思い出そうとして、ここまで出ているのに、「ウ~ン、アレなんだけどな~」と頭に浮かんでいるのに、言葉に出来ない。

ふと思い出した時などは、ニンマリということありますよね。私、この現象、今までもよくあったのですが、最近その頻度が高まってきたような気がします。

今回は、お隣の大野市のことで「??」なのです。 ono430

大野市では、昨年の3月に「大野城築城430年祭」を開幕し、一昨々日の5日の夜、雪の城下町を照らす「越前おおの冬物語」で約1年間にわたるその全日程を終えました。

ここで疑問なのですよ。この「430年」という中途半端な数字は、どこからきているのかしら?

モー気になって、気になって、いろいろな大野市民に聞いたり、ニュースや新聞など注意して見ていたのですが、一向にその疑問の解決に至りません。

  400年祭もあったのかな?
  10年毎の行事なのかな?
  いや、10年前ならいくら私でも覚えているはずよね
  でも、そんな記憶はないわ
  御遠忌のように50年毎なら30年という半端は出てこないはず・・・

などなど、「なんでこんな中途半端な数字なの?」といつも気になっていました。

これまで大野市民の誰一人として、私の疑問を解決してくれなかったのです。

ズーッと、ズーッと「本当のところどうなの?・・・誰か私に教えて」と心の中で静かに叫び続けていました。

するとニュースで
  市民(4)
  みんなで(3)
  輪になって(0)
という「語呂合わせで行った」と解説しているではありませんか。

一昨々日の「大野城築城430年祭」のフィナーレになってようやく解決できました。(なーんだ、そんな簡単な語呂合わせだったんですね、でも長かったー)

何だか、ビックリ、スッキリ、グッタリ・・・リフレッシュした気分です。

今日はグッスリ眠れそうです。sleepy

2011年2月 6日 (日)

HOT一息

ここ4~5日は晴れ間も続き、あの大雪がウソのようです。

県や市の除雪作業も進み、通りの見通しもずいぶんとよくなり、まるで春がきたような感さえあります。

日が差すとこんなに気分が明るくなるとは、北国なればこそでしょうね。

Book私家版として世に出たのは30年ほど前になりますが、「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という本がベストセラーになりました。

映画化やテレビドラマ化もされましたので、ご存じの方も多いと思います。

この本は、「若き医師が死の直前まで綴った愛の手記」で、「あたりまえ」という詩で手記は締めくくられています。

その「あたりまえ」という詩が、私の頭に浮かびました。

あたりまえとしか捉えられないときは、有難さがわからない。無くしてみて、初めてわかることが多いですよね。

今回は、お日さまの有難さをしみじみ感じております。

先日、この冬2回目の屋根雪を下ろしていただきました。(下ろした雪の後始末は、まだまだ続行中ですが・・・・)

そんな中、今日は「四葉のクローバー会」の例会でした。

最初の1時間は、会が管理する「ホームページの講習会」です。

これは、なかなかはかどりません。

ホームページは、興味がなければ会員ですら見ないでしょうし、ホームページの更新ともなるとなおさらです。

この私のように、手取り、足取り教えてもらって、初めて理解できる者もいれば、ログイン方法さえ分かれば、サッサとできてしまう人もいます。

便利なものほど「使い方次第」ということなのでしょうか。私にとっては重い課題です。

要は、それに費やす時間を作れるか、作れないか、その作業に興味がわくか、わかないかです。

興味がわくまでの道筋を付け、「行動に移す根気時間熱意の持ち主がいるか」の問題です。

ウ~ン、そうなんですよね。それが問題で、なんとかモノにしたいけど、いつもくじけてしまいそうな私です。

でも、「今回の講習会は、問題が分かっただけでも、成果が出た」と言えます。

続いて待ちに待った「ティータイム!」です。この生き生きした表情をご覧ください。まるで「水を得た魚」のようです。

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今回の例会が初参加の方や、前回の例会から引き続いて参加の方も含め、皆さん楽しんでくださったようです。

しかも、ご夫婦で参加された方もおられ、そして、なーんと「今日が初産の予定日」なんだそうです。

奥さまは、身軽に、元気に参加してくださり、「もしかしたら、今晩、産気づくかも」なんて言って盛り上がりました。

今回も「おからドーナツ」と「豆乳」の差し入れがあり、特に「豆乳」は子供たちに大人気で、アッという間に無くなっちゃいました。

その他に「鹿児島産の文旦(晩白柚)」と「文旦の皮で作ったジャム」の差し入れもあり、「ジャム」は程よい甘さで、こちらもとても美味しかったです。

などなど、差し入れられた美味しいものをいただくと、会話も進みます。

閉会の時間がきても、あちこちで会話に華が咲いて、名残惜しくて、なかなかお尻が上がらなかった今日のメンバーたちでした。

今回も、美味しいものをいただき、とりとめのない話をしながら、いろいろなモヤモヤを自分なりに消化できたようです。

本当に感謝、感謝です。会員の皆さん、また来月もお会いしましょうね。happy01

2011年2月 2日 (水)

家庭法座 No.249 号

温かい 心が築く 世の平和

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世界のあちこちで、テロ戦争や内戦が、
我が国でも肉親間の殺害事件が、後を断ちません。

どうして世の中は、こんな殺伐としているのでしょうか。

それは「仏教の心」を知らないからです。

挨拶という言葉があります。これはもともと「禅宗の用語」です。

出会った僧侶同士が手で軽く触ったり(挨)、
強く触ったり(拶)することで、「敬愛の心」を示し、
「敬愛の心を深める作法」を言います。

手で触れなくとも、せめて言葉を掛け合いましょう。

そうすることで、近くに居るもの同志の心が、まず解け合うのです。

世の平和は、そこから始まります。

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No249

  今月の行事 2月20日(日曜日)午前・午後 常例法座
        先月の「節談説教と落語の共演」を上映いたします。

どなたでもお参りください。