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2010年8月

2010年8月 9日 (月)

道場めぐり

平成19年の春より、浄土真宗本願寺派の住職たち5人で「道場研究会」なるものを発足しています。

北陸の各地で「道場」と呼ばれる「聞法の道場」が、門信徒と各寺院とのパイプ役を担い、身近なお聴聞の場を提供してきました。

現在、それらの道場は、後継者難や過疎、少子高齢化など、さまざまな事情から存続の危機に瀕しています。

住職たちは、「現存する道場を、せめて今のうちに記録として残しておきたい」との思いから、忙しい法務の合間を縫って、こつこつと取材を重ねてきました。

私は、そんな住職たちの背中を「なかなか大変な作業、よく続くなあー」と見送っていました。

そして、今回、私の知人を介し、2ヶ所の道場からお話を聞ける機会が得られましたので、私もその取材に同行させてもらいました。

その道場は、勝山で一番奥深い北谷地区に位置し、石川県と境を接する県内屈指の豪雪地帯にあります。

この北谷地区は、一晩で1m以上もの雪が降り積もることもあり、屋根雪下ろしや雪かきのご苦労は、拙寺の周辺とは比べものにならないほど大変なところです。

そして、北谷地区の多くは高齢者世帯で、「将来、存続すら難しくなる」と心配する声が聞こえてくる典型的な過疎に悩む山村です。

そんな立地にある2か所の道場は、石川県松任市にあるH寺支坊の道場で、次のようなご縁で道場が建ったそうです。

    その昔、木根橋村では、H寺のご住職を織田信長の追手からかくまわれたそうです。

    その織田の軍勢が、今度は木根橋村にも迫りくるという知らせがあり、木根橋村のさらに奥の小原村で、H寺のご住職をかくまわれます。

    しかし、H寺のご住職は織田の軍勢に見つかり、殺害されてしまいます。

    木根橋村、小原村の両村では、自然石の墓を建て、亡きH寺のご住職を偲びます。

    そのご縁で、福井県のお隣の県、石川県松任市のH寺支坊の道場が木根橋村、小原村の両村に造られ、今日に至っています。

この木根橋道場は、拙寺よりも大きく、間口は七間半、奥行きは十一間半あり、現存する道場では県下一の大きさです。

創建は450年前とのことで、何回か修復もされ、その「お寺となんら変わらぬ造り」と「お荘厳の素晴らしさ」には圧倒されました。

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木根橋道場です(ネッ大きいでしょー)

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木根橋道場には梵鐘もあります

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木根橋道場の内部です

かつては100件ほどあった木根橋地区の集落も、今では20件ほどになってしまいました。

そんな中で道場の世話方を選出し、世話方を任命された方は、自宅から道場へ通って日々のお給仕をされます。

現在の木根橋道場の世話方は、大山口さんです。明治時代の頃から7代目の世話方になるそうです。

大山口さんより、毎朝のお勤め、月3回のお講、その他に報恩講や元旦会など、少しづつ道場の修繕をしながら、しっかり護持されていることを伺い、頭が下がる思いでした。

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木根橋地区に続いて小原地区へ移動です。

この小原地区には、現在2人の方が住んでおられます。

小原地区の区長さんは、小原から市街に住居を移されてはいますが、市街から小原に通い、畑や山林などの管理をされています。

また、区長さんは、小原に住む老人2人を見守ってもおられます。

小原地区では、月に一度、離郷された元区民の方々が道場に集まり、報告や今後の活動の打ち合わせなどをされているとのことでした。

そして、小原道場では、報恩講もしっかり勤まるそうです。

集落のほとんどの方が離郷されたとはいえ、その郷土を愛する強い思い、仏法を尊ぶ姿に頭が下がります。

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山中の細い道に沿った崖に建つ小原道場

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小原道場の内部です

住職たちの「道場研究会」では、各地の道場を巡っていくと、知らない新たな道場がどんどん浮かび上がってくるそうです。

そもそもこの北陸の地には、どれほどの道場があったのでしょうか?

その道場のひとつ、ひとつで「お聴聞がなされていた」と思うと、信仰の強さ、深さを思い知らされます。

また、今回の取材で、お寺の在り方を再確認することもできました。

いずれ「道場研究会」の取材は、本になるそうです。この分だと、出版はいつになるやら見通しはつきませんが、どうぞ、気長にお待ちくださいね。

2010年8月 8日 (日)

夜回り巡回

夏休みの期間中に、区で行われる行事に「夜回り」があります。この「夜回り」も、もう5~6年は続いているでしょうか。

週に一回の「夜回り」ではありますが、区の代表が集まり、拍子木を叩きながら「防火」と「防災」を呼び掛けるのです。

ここで「区の代表」とは言っても、結局「区のほぼ全戸」が何らかの「責任のある役」に付いています。

それに子供たちも加わり、総勢30人ほどが区内を練り歩きます。

これも「防災意識の啓発」と言いながら、区民の安全確認、地域の仲間意識の向上に一役かっております。

地縁の深まりも大事ですよね。

先日より書いていますが、家族であっても所在さえ知らない。また、幼い子供の虐待など、「地域で把握していれば改善できたかもしれない」と思うと、いたたまれません。

また、いつ自分や家族が迷惑をかけるか知れない。いえ、今もしっかりといろいろな面で支えられているのです。

個人主義といって、本当に大事なものが失われつつあります。

邪魔くさいと思うことは、大勢でやるに限る

夜回りは、各地で行われていると思います。今晩もどこかで拍子木の音が響いていることでしょう。

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火の用心 マッチ一本 火事の元
焼き肉 焼いても 家焼くな

なんとも古めかしいフレーズで練り歩いております。何か現代的な言葉、今風な言い回しはないものかなあ~。

2010年8月 7日 (土)

キラッと生きる あきらさん

夏休みの期間は、読み聞かせも、もちろんお休みです。

このお休み期間を利用し、「読み聞かせの講習を」ということで「県立図書館の読み聞かせ講習」に行ってまいりました。

県立図書館では、ゆっくりと時間をかけ、本の選定などのアドバイスも受けました。

そして、インターネットで検索して「読み聞かせにおすすめのホームページ」なども見て回りました。

今回は、そんな機会の中で巡り会った「天才ひらがな詩人」こと「くりすあきらさんの詩」をご紹介します。

ちょうど県立図書館へ行ったので、くりすあきらさんの「ありがとうのてがみ」も借りてきました。

この「ありがとうのてがみ」は、勝山の図書館には残念ながら置いてありませんでした。

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1975年生まれのくりすあきらさんは、異常分娩のため、脳性麻痺、知的障害、腎臓障害、肢体不自由など、さまざまな障害を抱えながら、そのときどきの気持ちを詩で表現しておられます。

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 びょうき
   あーあー
   またびょうきになった
   にゅういんしてしもうた
   ぼくは つかれたら すぐねつがでる
   やれやれのう
   でも ぼくのせいじゃーないのです
   しょうがないせいなのです
   いきとっら しょうがないないことが
   いっぱいあるのです

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 おかさん
   おかあさんがなきました
   ふろばでなきました
   ぼくのことで なきました
   ぼくは あたまがいいので
   すぐにわかりました
   おかあさん くらいかていは やめんさい

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 まなぶくん
   まなぶくんは ごはんをみきさーして たべます
   さかなも みきさーして たべます
   ごくらくのかみさま すまんが ちょっとだけ
   まなぶくんのために はたらいてくれんかのう
   わろうてばっかりおらんこうに
   たいしたことじゃーないよー
   まなぶくん ごはんのまんま たべれるように しちゃってくれー
   さかなのまんま たべれるように しちゃってくれー
   パンも てでもって たべれるように しちゃってくれー
   ぎゅうにゅうも ひとりでのまれるように しちゃってくれー
   ぼくからの おねがいです たのんだよ

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 ぼくは しんせきのはじなんだって
   ぼくは しんせきの けっこんしきに
   いったら こまるにんげんです
   はじなんだって なんべんもいわれた
   ひどいことを いうのー
   あんたも いわれてみー
   なさけないでよー
   よんでくれんでもええが おらんことにされるのは こまる
   にんげんのいきを しとるんじゃけん むりよー
   おかあさんが せっかく うんでくれたんじゃけん
   じまんをしてくらす
   ほいじゃが おかあさんが かわいそうでかなわん

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 人げん
   にんげんって いいね
   おいしいものが たべられる
   たのしいことが いっぱいあるし
   かあさん ぼく 人げんにうまれてよかった
   ひめ あんたは ねこに うまれて つまらんじゃろう
   人げんにうまれて くればよかったのに もうおそいよ
   はよう たのめばよかったのに うまれるまえに
   あんたのおかあさんに たのめばよかったのに
   わたしを 人げんにうんでください いうて
   はやめにたのんだら よかったのに もう おそいよ
   ねこにうまれたんじゃけん もう ておくれよ
   ひめは ねこで しあわせになりんさい
   ぼくは にんげんで しあわせになるけえ

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くりすあきらさんの書かれた詩は、まだまだたくさんあります。今回はその一部だけをご紹介しました。

なぜ、私たちは、失ってみてはじめて、失くしたものの大切さを知るのでしょうか?

なぜ、私たちは、教えてもらわなければ、人として生まれることの難しさ、すばらしさ、いとおしさを感ずることができないのでしょうか?

くりすあきらさんの詩からは、「生きていくことは、さまざまなことがあり、苦しみが数多くある。でも、それ以上に人として生まれることの尊さ、すばらしさ。人として生き抜きたいという力強い生命力」を感じるのです。

こんなすばらしい命を頂いたことに気がつくこと、「くりすあきらさんの紡ぐ言葉」は「まるで仏さまの言葉」のようです。

知識を付け、学力を付けるために学校にいって学ぶように、生きる力も学ばなければ身に付きません。

何回も、何回も、聞かせてもらわなければなりません。そして、お寺がその場所であり続けられるように努めたいと思います。

2010年8月 6日 (金)

家庭法座 No.243 号

蝉の音も 亡き人びとを 偲ぶこと

お盆の月がやって来ました。各地のお墓が花で賑わいます。

身近な人、親しい人を失った方々は、追慕の念でしょう。

もしあの人が居てくれたら、との思いから「お盆の間だけ故人があの世から帰ってくる」と考えるようになりました。

しかし、実は阿弥陀様のお浄土に往生した人々は、常にこの世に帰って来て、私たちの心の中で生きているのです。

お念仏となって働いて下さっています。

お盆だけでなく、生きている限りお念仏を忘れないようにしたいものです。

No243
家庭法座 No.243号

今月の行事 8月20日(金曜日)午前、午後 常例法座
皆さまお誘い合わせの上お参りください

2010年8月 5日 (木)

娘よりの暑中見舞い

若者を中心に年賀状や寒中見舞い、暑中見舞いなどの「挨拶を記したハガキを出さなくなってきた」と聞きます。

出したとしても、メールで挨拶をするぐらいが関の山なのでしょう。

なのに今日ポストを開けると、なんと「便りがないのは無事な証拠」という言葉どおりの関係の娘から封書が届いています。

ここ最近、娘から私へちょくちょく携帯に電話が入り、仕事の悩みやアドバイスを求められ、なんだか楽しいひと時を過ごしておりました。

しかし、今日は携帯ではなく封書です。ドキッとして封書を開けてみると、中には可愛いい暑中お見舞いの「手づくり風鈴」が入っていました。

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それは、今年の異常なまでの暑さに閉口していたところへ届いた「涼しい便り」でした。

娘は、何年も回り道をして「おかあさん、私、子供相手の仕事がしてみたい」と言って、今の児童館に勤めるようになった。

そのときは、「今更なん? もう結婚の時期でしょう」と言いたかったけど、「子供がやっと見つけた道を進むのもいいかなあ~」と思い、見守ることにしました。

私が「今日は園児の参拝があってモー大変、この歳でハイテンションでこんなお話や紙芝居や手遊びして‥‥」と話していると「お母さん楽しそうやね」と言ってくれる。

そうかも?‥‥‥。

2~3年前まで、子供の前では「お姉さんはね」と、みんながいぶかしそうにしているにもかまわず、断固「お姉さん」を通していました。

なんの疑いもなく、断固として「まだお姉さんで通じる」と思っていたのです。

それが、50の大台に乗ってから、いつしか「おばちゃんはね」に変わっているのに気づいた時のショック!ショック!ショック!‥‥‥。

でも、人はすぐ慣れるものですね。今では「おばちゃん」でも「おばあちゃん」でも、すんなり自分から使いこなしております。

先ずはともあれ、「娘といろんな話ができる」、「娘と共有できる話題がある」というのが、何よりの楽しみとなりました。

娘には、「もうぼちぼちステップアップした話もいいかな~」と期待もしているのですが‥‥‥。

2010年8月 3日 (火)

河原の清掃奉仕作業

先月のとある日曜日、我が中後(なかうしろ)地区恒例の「弁天堤防の清掃草刈り作業」が行われました。

勝山橋のたもとの一区間が中後地区の担当です。

夏には、堤防で花火やバーベキュー、夕涼みなど、「気持ちよく市民に利用してもらおう」と、草刈りをしております。

子供会もゴミ拾いで参加です。35件という小さな区ではありますが、区長さん始め大変熱心に区の団結と親睦に力を入れてくださっています。

やはり、まとめ役が一生懸命にやってくださると、「みんなで力をあわせて」という気持ちが起こってきます。

人を動かすには、「熱意」であり「純粋さ」だと常々思っております。

でも、私はつい下心の方で動くので、打算的になってしまうのでしょう。分かってはいるのでが punch

今社会は、「無縁社会に進んでいる」と言われています。個人主義が叫ばれてから今日、「一つ屋根の下で家族が食事をしても、にわとり社会になりつつある」そうだ。

     孤(コ) ・・・一人で食べる
     欠(ケッ)・・・食事を食べない
     個(コッ)・・・別々のものを食べる
     固(コ) ・・・気にいった一つのものばかりを食べる

つい、以前までは、「隣は何をする人ぞ」というふうに、隣近所の付き合いもしない都会のマンション暮らしを顕していたが、今や「家族はなにをする人ぞ」に変わりつつある。

7月30日に東京の足立区で111歳の都内男性最高齢者の遺体がみつかったそうです。

同じ家にいて、30年近く遺体を放置していたそうです。市の職員も、「訪問するたびに、逢えず今日まできた」というのだから、のんきと言えばのんき、職務怠慢ともいえる。

家族も年金欲しさに隠していたのか。おじいちゃんの「即身成仏する」という言葉を真に受けていたとも思えないが、ご縁の中で生かされているはずなのに、寂しいかぎりです。

また、それを受けて「杉並区の113歳の女性の最高齢者の所在が不明」というのだから、これまたビックリです。

いったいどうしたの?と言わざるを得ない。

そんな中、我が区は、「つながりを持とう」ということで、何かにつけて全戸で活動できる行事を取り入れながら、「いざ」というときの避難、防災などにつながるように努力してくださっています。

ついていくのが精一杯の私ですが、がんばります!

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草刈りの後の記念撮影