法耕足跡 Feed

2010年3月 9日 (火)

信濃路の旅 其の弐

善光寺近くのK寺様の仏婦法座に参りました。冬の時期は庫裏のお内仏で法座が行われます。

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善光寺近くのK寺様

長野の寺では法座終了後、必ず茶話会をします。

お茶を頂き、皆様の自慢の手作り漬物やお菓子など食べ、何度もお茶を飲みながら法味愛楽の会話に花を咲かせます。

この日も沢山の茶菓子をならべて法味を語り合いました。

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K寺様での茶話会

次の日は移動して、波田町のA寺様に寄せていただきました。

A寺様は、波田町でも「しだれ桜」で有名な寺院で、毎年開花の時期は多くの参詣者で賑わうそうです。

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波田町のA寺様

新築されたお内仏の広さには驚きました。拙寺の本堂より大きいものです。

坊守様は「本当はもう少し大きくする予定だったんですよ」と言われ、唖然としました。ただこれからの維持管理が大変でしょうね‥。

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A寺様のお内仏

昼席は参詣はありましたが、夜の法座は少なく一席終了後、小部屋にて茶話会をしました。ゆっくりと語り合い深夜に床につきました。

明日は松本市に移動です。

2010年3月 7日 (日)

信濃路の旅 其の壱

過日、長野別院常例布教の折に、近くの善光寺に行って来ました。快晴の中、大勢の人々が参詣されていました。

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善光寺門前に、親鸞聖人が御逗留されたと伝えられる寺院がありました。

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また、境内には親鸞聖人お花松の像が立っていました。

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越後から東国への旅の途中で善光寺に参詣された親鸞聖人が、善光寺如来の御前に松の枝を供えられたと伝えられた。

この故事にちなみ、本堂外陣に置かれている大きな華瓶には、「親鸞聖人お花松」と呼ばれる松の若木が今も欠かさず供えられています。

ただ残念なのは、親鸞聖人像のそばには沢山の願い事を書いた絵馬が所狭しと飾られていた。(‥人生は祈っても願っても思い通りにはなりません)

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2010年2月21日 (日)

町の風景&三分経?

左義長まつりの一週間前の日曜日は、関係地区をあげて短冊吊りを行うことになっています。

ここ中後(なかうしろ)地区でも、朝8時より全住民が参加して、短冊を吊りました。

毎年、短冊吊りの日は本当に寒く、長時間屋外にいると、突き刺すような風のため、アスファルトの冷えが足元から伝わってきます。

しかし、今日は日差しも明るく、吹雪くこともなく、穏やかな一日で、こんな短冊釣りは本当に珍しいことでした。

何はともあれ、有り難いことでした。

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短冊吊りの模様です

風に三色の短冊が輝き、揺れて、とても風流です。でも、見えないところで大変な努力がされているのです。

ハイッ、オリンピック選手もしかり
えっ!レベルが違う!
それはそうですが……

本当に大切なものは、目には見えず、隠れていることの方が多いですね。

大事なものを見失うことのないよう、心の目を曇らすことのないようにしたいものです。

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午後、「I地区道場の年次法要」に寄せていただきました。

こちらの道場は、地区のお同行だけで護持されています。そして、道場では「月2回のお講さま」と「年2回の法要」が勤まっているそうです。

しかし、世代交代が進まず、年々お世話方や当番の方が苦労しておられるようです。

これは、どこも同じのようですね。

さて、法要で三部経が勤まるのは、こちらの道場だけなので、声が続くか心配しましたが、なんとかこの日のための精進(?)の甲斐あって、無事に勤めることができました。 confident

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I地区のお同行の皆さんです

本日は、「供養の意味」、「三分経ならぬ三部経の説明(語句の説明しかできません)」を皆さんの暖かく、寛大なお許しをうけて、なんとかお取り次ぎすることができました。

I地区のお同行の皆さん、有り難うございました。

2010年2月18日 (木)

壮行会

今夜は長野別院にて、ビハーラ長野主催の「バンクーバー冬季パラリンピック」に出場される「井上真司選手(上田市、顕正寺住職)の壮行会」が行われました。

また、「日本障害者アルペンスキーチーム激励会」も合わせて行われ、代表の青木辰子選手が招かれました。

この「壮行会」、「激励会」には、長野教区内のご住職、ご門徒など、約60名の方々が参加されました。私も「別院に布教に来ているのだから」ということで参加を勧められ、出席させていただきました。

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壮行会の模様です

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壮行会の模様です

開会では両選手が拍手で迎えられ、主催者代表と教務所長の挨拶の後、協賛金伝達式、花束贈呈、お礼の言葉、祝電披露に続き、長野教区会議長の乾杯で祝宴が行われました。

井上選手は、2002年のソルトレイク、2006年のトリノに続き、今回で3回目の出場ですが、トリノの前に行われたワールドカップにて腰椎圧迫骨折の事故となり、棄権となりました。

しかし、井上選手は、選手生命を脅かす怪我より回復され、再びパラリンピックに出場されます。

逆境を乗り越えての出場は、本当にすごいことですね。

親鸞聖人はお念仏の利益に「転悪成徳の益(てんまくじょうとくのやく)」があると説きますが、悪を転じて功徳になるお念仏を頂いているからこそ、井上さんは苦悩を超える道を歩めることだと感じました。

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顕正寺ご住職の井上真司さんです

井上真司さん、来月のパラリンピックのアルペンスキー5種目に良い成績をおさめるように、福井から応援しています。ガンバレ日本! ガンバレ井上さん sign01

私は、明日から松本市へ移動します。そして岡谷市と「信州での布教の旅」はまだ続きます。

ネットに接続できる環境がないため、長野でのブログはしばらく休憩です。後日、改めて報告させていただきます。paper

2010年2月17日 (水)

法義示談

長野別院にての定例布教の3日目です。

本日の常例法座は、講堂のお内仏で行われました。本堂とは違い、暖かい部屋で皆様ゆっくりと聴聞されました。

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長野別院のお内仏です

この日は「法名」についてお話しました。「法名」は仏法に帰依したものが、自らの生き方をあらわすためにいただくものです。

ですから死んでから頂くのではなく、生きているうちに頂くものです。

ご本山でご門主様から「おかみそり(帰敬式)」を受けた方はご存知だと思いますが、帰敬式のときにご本尊に向かって「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」と称えます。

この「南無帰依」とは、「礼拝」とか「尊敬」を表します。またそれによって生きるという、よりどころをあらわす語です。

それは、「私は生涯、真実を悟られた『仏陀』を敬い、よりどころとして生きていきます。また、仏陀が示された『法(教え)』を真実のよりどころとします」ということです。

そして、『僧』とは「僧伽(サンガ)」といわれ、教団を表しますが、今は「仏教信者として責任ある生き方につとめます」ということで、帰敬式は、「仏陀」と「教え」と「信者の自覚」という、自分の生き方を仏さまに誓う儀式です。

また、ともに「釈尊」を仰ぐ一族ということで、「釈」の一字を姓として「釈○○」と法名をいただくのです。

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茶話会の様子です

本日も法話終了後、時間のある方々とともに茶話会をしました。

若い頃から聴聞されているM氏は「聖人と上人の違いとは?」また「流罪された原因は?」など、質問が多く出され、良いご法義示談になりました。

尚、夜は院外布教に長野市内のS寺様に寄せていただきました。

2010年2月16日 (火)

親鸞聖人ご命日

長野別院にての定例布教の2日目です。

毎月十六日は宗祖親鸞聖人のご命日に当たります。親鸞聖人のご生涯を偲び、聖人が頂かれたお念仏の心を聞かせて頂くご法縁です。

ここ長野別院では本堂にて、輪番導師のもと、職員方々とともに参詣の皆様ご一緒に、厳粛に賑々しくお勤めされます。

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----------------------------- 本日の法話の概略 -----------------------------

親鸞聖人のお言葉に
  慶ばしいかな、(よろこばしいかな)
  心を弘誓の仏地に樹て、(こころをぐぜいのぶつじにたて)
  念を難思の法海に流す(おもいをなんじのほうかいにながす)
とあります。

ご本典の後序(註釈版聖典473頁)に出ている言葉ですが、親鸞聖人は「お念仏の慶び」を語られたものです。

ここに「仏地に樹て」とありますが、「たつ」という文字が「樹木」の「樹」という文字を書いて「樹つ」と書いてあります。

これは、ただ地面にのっているのではなく、「地面」と「木」が一つになっている姿です。つまり私がお念仏を頂くのは、「仏さま」と「私」が一つになる姿です。

どんな苦悩の人生であっても、心の根がしっかりしていれば、乗り越えて生きていけます。

しかし、根の無い人生ですと、せっかく頂いた人生が空しく終わってしまいます。根とは、「心の拠り所、支えになるものをもつ」ということです。

お念仏は、仏さまが言葉となって、私をいつも支えて下さっているのです。

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法話の終了後、参詣の皆様とともに茶話会をさせていただきました。

皆様はお互いに頂いた喜びを語り合って、口には「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏がこぼれていました。

2010年2月15日 (月)

長野別院

本日から長野別院へ定例布教に来ています。毎年この時期に寄せて頂いて、もう15回目のご縁です。

職員の先生方とも馴染みになり、厚かましくして、実はこのブログも無理にインターネットをつないでもらい更新しています。 happy01

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本願寺長野別院は、越後から関東に向かわれる途中、北信濃に逗留された親鸞聖人に帰依をされた和歌月重勝が、「法名 釈 証誓」を賜り、「第七世 釈 明誓」が正法寺を創建したのが始まりと云われています。

その後、大正14年に「正法寺」から「京都西本願寺の直属寺院」そして「本願寺長野別院」となりました。

現在の本堂は、昭和49年に建立し、平成7年に再整備され、内陣も、外陣も一新して、すばらしい教化施設になっています。

また、庫裏も昭和60年に建設されました。

本願寺長野別院では、毎月定例法座があり、本日も少人数ではありましたが、熱心に聴聞され、法座終了後の茶話会では、厳しい質問責めに遇いました。

この「茶話会」は、本当に良い勉強になりました。

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本願寺長野別院は、長野における浄土真宗の正法弘通の伝道教化センターとして、すばらしい活動していると感じました。

それから今、冬季オリンピックの真っ最中ですが、来月のパラリンピックに出場される選手に、なんと長野のお寺の住職さんがおられるんだそうです。

そして、2002年のソルトレイク(アメリカ)、2006年のトリノ(イタリア)に引続き、3大会連続の出場だそうです。

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オリンピックで、「信州」の「真宗僧侶」が、ぜひメダルを。 scissors
頑張ってください。

2010年2月13日 (土)

念仏道場

まだ雪深い奥越の山村、鹿谷町保田にある「下道場(しもどうじょう)」の法要に行って来ました。

下道場では、2日間に渡って、保田地区の「年次法要」と「戦没者追悼法要」が行なわれました。

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鹿谷町保田の下道場

ここ保田の下道場は、「蓮如上人が御逗留された場所」と伝えられています。そして、この保田地区では、下道場を含め四つの道場があり、毎年順番に法要を勤められます。

その法要には、各々の道場のお手次ぎ寺院のご住職が導師をされ、各道場主も一緒に勤行されます。

今回の下道場での法要では、S寺さまのご住職が、法務員の方と一緒に出勤されました。

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S寺さまご住職、法務員、道場主の方々

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一緒にお勤めされる保田のお同行の方々

保田地区では、平日の法要であっても多くの参詣があり、熱心にお聴聞される姿に頭が下がります。

皆さん「道場」と言うと、「剣道や柔道の道場」を思い浮かべる人がいるかも知れませんが、実は「道場とは浄土真宗の教えを聞く念仏道場」なのです。

特に福井県では、嶺北地方を中心に多くの道場が存在しています。
(道場の現在数は約130ヶ所)

歴史的に見れば、蓮如上人が吉崎御坊にお越しくださった頃から、各村々でお念仏のみ教えを伝える「教化伝道センター」であり、「寺院の基になるもの」であったのです。

まさに「浄土真宗の土徳」が、この「道場」なのです。そして、「お手次ぎ寺院とご門徒のパイプ役的な存在」であったのです。

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下道場のご本尊、阿弥陀さま

しかし、現在では「寺離れ」と「高齢化」に伴い、道場の維持、存続が非常に困難になっているのが現状です。

これは、道場ばかりでなく、寺院も同様ではありますが……。

そこで、数年前より福井教区の有志の僧侶5人で「道場研究会」を設立して、各道場を調査し、記録作成をしているところです。

できれば明年の「宗祖750回忌法要」までには、「道場さんを訪ねて」という表題で出版する予定です。

奥越の純粋なお念仏同行方々のおかげで、「なんとか真宗が存続しているのではないか」と思った下道場での2日間でした。

2010年2月 4日 (木)

姫の目にも涙

本日の午前と午後は、「サロン」と「法話会」に行ってきました。

毎年この時期に寄せていただくH地区のサロンは、今年で3回目となります。

このH地区は、「男女の比率がほぼ同じ」という、大変すばらしい地区です。

ほとんどの地区のサロンでは、男性の比率は一割ほどですので、うれしいかぎりでした。

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ネッ 男性の方が多いでしょ

また、たいていは「歌」や「手遊び」をしても、男性の方は消極的で、ノリも今ひとつなのです。

このことは、「女性の寿命が男性よりも長い理由のひとつ」かも知れませんね。

しかし、こちらのH地区の男性は、とてもノリがよく、積極的に参加してくださいます。

歌を歌うとコーラスになって、素敵に聞こえてきます。思わず「合唱団を結成されては」と、お薦めしてしまったほどです。

私も3回目のサロンなので、「新しい出し物を」と頭をひねって工作をするのですが、いつもギリギリになって追い込まれないと本腰が入らない私なので、自分でも冷や冷やです。

今回は、新しい出し物を2つ用意しました。ひとつはそれなりにうけましたが、もうひとつはいまいちでした。

すこし高度(?)すぎたのかもしれません。
(アア~嫌だ 素直になれない ワ・タ・シ・)

今一度、出し物を練り直さなくっちゃ。
切ったり、貼ったり、書いたり、縫ったり………。

園児の工作のようなものを「ああでもない」、「ウーンこうでもない」とやっている私を、住職がいつも冷やかに「幸せやなあ~、大したもんやあ~」と、かっちゃま弁で冷やかすのです。

私は、「遊びじゃないのよ、真剣なのよ」と言いながら、「ほーんとにそうかも」と思っています。

皆さんへ笑いを提供できることが、私の原動力かも知れません。H地区の皆さん、今日もお付き合い有り難うございました。

法話会では、最近出会ったお話をしました。「いのちを いただく(内田美智子作)」というお話です。

最近、とみに涙もろくなり、話す私自身が感極まって、ついつい涙してしまうのです。

姫の目にも涙? ひえっ! 姫ってもしかして~~

深く追求しないでください。

追伸:先日、歌手の島倉千代子さんが言われていました。

   「東京だよ、おっかさん」を歌いながら、自分の方が泣けてきて
   つい涙声で歌っていると、船村徹先生に叱られた。

   こちらから涙の押し売りをしてどうする!
   聞き手が、それぞれのおっかさんを
   思い浮かべてもらうのが、歌手の仕事だ!

   と言われたと、話しておられました。

エッ? 比較が違う! はい、すいません。 coldsweats01
素直に認める、かよわい シ~子姫 でした。

2010年1月27日 (水)

中央仏教学院

本日、「中央仏教学院の特別講義」に出講してまいりました。

中央仏教学院は、大正9年に京都府の認可を得て創設された「浄土真宗本願寺派の僧侶を養成する機関」です。

今回の特別講義は、本科、および、研究科の全学生213名(18歳~62歳)が対象でした。

それは、いつものご門徒さんへのご法話とは違って、仏教を学ぶ学生さんたちへの講義ですので、極度の緊張感から冷汗の連続でした。

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聴講される学生さんたち

講義の開始にあたり、学生さんたちのお念仏の声が講堂いっぱいにあふれ、思わず身震いいたしました。

特別講義の内容を要約しますと、次のようになります。

    お聖教を拝読することは、阿弥陀如来の大慈悲心を学ぶこと。

    それは、苦悩をかかえ、悲しみを背負って生きていかねばなら
    ない凡夫(私)を「汝 救わずば 仏に成らず」と誓い、その
    願いが言葉となり、声となって、呼んでくださるのが、南無阿
    弥陀仏のお念仏。

    その「お念仏」を頂くことが、すなわち「阿弥陀如来の大慈悲
    心を賜ること。

様々な例話を通して、お取り次ぎさせていただきました。

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白川晴顕 中央仏教学院 学院長

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一昨年、拙寺に来てくれた留学生の
ヘンリー アダムス君(北米開教師)

この度のご縁は、学生さんたちに講義するというよりも、講師の私が多く学ばせていただいた尊いご縁でした。

白川学院長はじめ、諸先生方皆様、本当に有り難うございました。
お世話になりました。        合掌