坊守日記 Feed

2010年11月23日 (火)

親心&子心

先日、京都で生活する長女、また、大阪で生活する二男の近況確認も兼ね、一泊で出かけてきました。

親元を離れた生活を送る子供たちの様子は、気にはなっていたのですが、なかなか時間が取れず、今回の訪問になってしまいました。

夕方、長女の仕事が終わる時間に合わせ、京都駅に到着。少し時間があったので地下のポルタ街(京都駅前地下街)を散策します。

せっかく京都へ来たのですから「何か私に合うものでもあれば」と、目を光らせ物色するのですが、どれも若い世代層ものばかりで、も~ガッカリ。

イヤ、「品揃え」よりも「金額」の問題がひっかかったのかも知れません。「私には、しまむらがある!」と慰め、ポルタ街を後にしました。

娘と近くの店で夕食を済ませ、一緒にマンションヘ  京都駅から地下鉄で一駅です。駅からはしばらく歩きます。

都会へ行くと、いつも思うのですが、皆さん本当によく歩かれます。勝山の皆さん以上に歩かれると思いますよ。

都会の人に道順を尋ね、「歩いてすぐそこ」と言われ、実際に歩いてみると、20分かかることもざらにあります。

田舎の人は、都会の人に比べ、歩く距離が少ないように思います。やっぱり、田舎の人は、目的地までの移動に自家用車を使うからなのでしょうね。

都会は、交通のアクセスは便利にできているのですが、階段を登ったり、降りたりにも疲れ、それ以上に人混みを歩くのにも、グッタリ疲れます。

ホトホト、「私は都会の生活に向いていない」と思いました。

長女の狭い一部屋で一泊。長女と二人で寝るのは、ホーンと何年ぶりかな。長女は、肩を揉んでくれたり、気遣う言葉をかけてくれたりします。

そんな長女に、「何か下心でもあるのかな?」と思う私は、「まだまだ長女を一人前の大人と思っていない証拠」なのかもしれませんね。

というより、どんなに歳を取っても「親は親」、「子は子」なんでしょうね。50を超えた私も、未だに田舎の父より心配されている身です。

翌日は、長女の仕事場を見ることにし、一緒に付いていきました。通勤は、これまた「歩いた方が便利だから」と、30分近く歩いて仕事場へ向かいます。

都会の景色を右に左に曲がり、長女とアレコレ喋りながらの歩きは、またおつなもので、良い想い出となって残りそうな気がしました。

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長女は、「子供と関わる仕事に就きたい」と、児童館に勤めるようになって2年目です。その長女の仕事場が、ビルの3階にあることに驚きました。

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子供たちは、テラスで外遊びもできるようになっています。なるぽど、でも、泥んこ遊びは、やっぱり無理でしょう。

でも、自然がいっぱいで、泥んこ体験できる勝山であっても、制限がたくさんあって活用できていない所も沢山ありますものね。

先輩先生にご挨拶をし、子供たちが多くならないうちに、長女の仕事場を後にしました。(まっ、なんとか勤まっているようです)

続いて二男の所です。京都駅から大阪へ電車で向かいました。二男の所は、初めてなので興味津々です。二男は駅まで迎えに来てくれていました。

私は、「お昼をどこかで」と思っていましたが、二男が「休みの時ぐらいは、ゆっくり部屋で」というので、スーパーで食材を調達しました。

スーパーから二男の住むマンションまでは、これまた歩きです。15分ほどかかりますが、「コレでも条件の良い方」とのことです。

二男の部屋で、先ずはご飯作りです。狭くて小さな台所は、まるで「ママゴト」のようで、私の腕の振るいようもなく、簡単な「トン平」を作ることにしました。

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この「トン平」は、信じられないくらいキャベツが食べられ、「ヘルシー」かつ「簡単料理」なのです。

何とか小さな台所で「トン平」ができました。二男とは、久し振りの食事でしたので、二男とゆっくり箸をすすめる時間は、本当にいいものでした。

昼食後、のんびりする間もなく、掃除に洗濯、買い物と、アッという間に時間は過ぎます。

夕方には電車に飛び乗り、9時前には家に到着という、なんと便利な親子の距離間なのでしょう。

アァ~、それなのに、子供たちのところへ行く当日までは、「時間がない、時間がない」と、延ばし延ばしにしていただけなのです。

私が、その気に、ただ決断ができなかっただけなのですよね。何事も、あまり力まず、肩の力を抜いて参りましょう。

また、息抜きに、子供たちのところへ行こう!っと

2010年11月21日 (日)

小春日和の常例

小春日和の中、11月度の常例法座が勤まりました。

ここ数日、よい天気も続き、長い冬を乗り越える準備など、何かと冬間近の気ぜわしい中、30数名の方がお参りくださいました。

勝山市内のお西の全寺院、22ケ寺の報恩講が18日に終わったばかりですので、今月の常例法座は引き続きのお参りとなります。

中でも数人の方は、市内の全寺院の報恩講に参られます。お西だけでも11ケ寺ありますので、頭がさがります。

私たち寺族の者は、「お寺へお参りください」、「聴聞が肝要です、ぜひお寺へ」とお薦めいたします。

ですが、その「お薦め」を口にしている当の本人が、なかなかお参りできていないのが現状ではないでしょうか。

私など、いざお参りし、家へ帰ってくると、フラフラになります。一座お聴聞するのが精一杯です。

しかも、早朝より午後4時ごろまでのお聴聞となると、自信がありません。夜のお座ですと、終わるのは9時半近くになりますから「体力勝負」と言えます。

それなのに、常例法座へお参りされた方の中には、40~50分をかけ、それも歩いてお寺へ来られる方もおられます。

私が、「車で送りましょう」と声をかけると、「いいえ、少しは歩かないと、これも運動のためです」とおっしゃいます。

85歳を過ぎた方が言われるですから、尚ビックリです。その姿勢に教えられることばかりで、50代のこの私が恥ずかしい限りです。

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常例法座の布教は、大野組S寺のS師です。

    如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして
    回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり

S師は、阿弥陀さまのお心を、分かりやすく身近な喩えを用いてお取り次ぎくださいました。

今年も残すところわずかになりました。少しでも機会があれば聴かせていただきたいと、改めて思う常例法座のご縁でした。

2010年11月19日 (金)

一日一笑

昔から「病いは気から」とか「笑いは身体の薬」などと言われます。

最近は、「笑いが科学的に健康を維持」したり、「笑いが病気を克服する力」があるようにも言われます。

今、この「笑いの科学的効果」が研究されつつあり、「笑いの医学的効果」を研究する学会もできたようですよ。

愉快な小咄を聞く直前と、その小咄を聞いた数時間後の患者さんの検査データを比較すると、病理学的に良い成績が出ているそうです。

他にもいろいろ「笑いの効果」は有って、取り立てて効果を立証せずとも、笑っているときにリラックスしていい顔をしているのは、誰にでも言えることです。

そして、高齢も、死も、ユーモアを入れた会話なら、重たくならず、返って素直に捉えることもできそうですね。

福井県おおい町の名田庄診療所所長の中村伸一先生は、山間地で医療に取り組む医師です。

この名田庄地区で、たったひとりの医師として住民たちを支え、「島のドクター」ならぬ「陸の孤島のドクター」なのです。

先日、「赤ひげ先生」とも慕われる「中村伸一先生」のコラムを読みました。

コラムの中に中村先生は、故郷でもない山村で、18年もの長期にわたって診療をされている理由を、「患者さんを治療しながら、逆に自分が癒されているからだ」と書いておられます。

きっと、施したり、施されたり、「お互いさまの関係」があるからこそ長続きしているのですよね。

中村先生のコラムの中に、ご高齢の方や、山村で生活している方は、相当なユーモアの持ち主で、それが「生活の知恵」でもあり「長生きの秘訣」とも思える内容がありましたのでご紹介します。

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あるおばあちゃんとの「診察会話」より

    ばあさま:自分が、まさかこんなに
         長生きをするとは思わんかった
         先生! わたしゃー、いつまで生きるんですやろ?

    中村先生:ウ~ン、多分、死ぬまで生きるんでしょうね

    ばあさま:そりゃあ、間違いない! それでも
         早くお迎えが来んかなと、いつも願っとります

    中村先生:それなら「二週間後にお迎えがきますよ!」って
         言われたら、どう感じますか?

    ばあさま:そりゃあ、困りますわー
         だって、まだ、死にとうないですから

    中村先生:アレレ、さっき言ったことと違いますね
         なんだかんだ言いながら
         ホントは、長生きしたいんでしょう?
         すでに長生きしていますけど

    ばあさま:でも先生、長生きも、こんなに腰が
         曲がってしもうたら、もうあきませんわ

    中村先生:腰はともかく、根性は曲がっていませんか?

    ばあさま:アッハッハッー
         根性は、若い時から曲がっとるから
         今更どうってことないですわ

    中村先生:別に威張ることないですわ

    ばあさま:でも、物忘れが激しゅうなって
         ほんの少し前のことも、すぐに
         忘れてしもうて、あきませんわー

    中村先生:もしかして、死ぬことも忘れていませんか?

    ばあさま:アッ! そういえば90年ほど
         死ぬのを忘れとった! アッハッハッー

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ばあさまのパワー、恐るべし!です。

会話から生まれる笑いの端々に「心の豊かさ」、「たくましさ」、「かわいさ」、「いとおしさ」そして「生きることの厳しさ」、「辛さ」などを感じるのは、私だけでしょうか。

そのまんま、そのまんま、ばあさまも、中村先生も、お救いのど真ん中にいらっしゃいいました。

2010年11月18日 (木)

宇野重吉演劇祭2010

俳優で演出家、そして、劇団民藝の創設者でもあった宇野重吉さんは、福井県足羽郡下文殊村(現在の福井市)のご出身なのです。

1988年に肺がんのため73歳で亡くなられましたが、古里の福井をこよなく愛され、「福井の応援団長」だった方です。

今、「宇野重吉演劇祭2010」が各地で行われています。

先日、その演劇祭の一環として「宇野重吉さんの足跡をたどる写真パネル展」の記事も福井新聞に掲載されていましたね。

でも、やっぱり何と言ってもメインは、県民ホール(JR福井駅東口AOSSA8階)で上演される「アラル海鳥瞰図(ちょうかんず)」だと思います。

    12月4日(土曜日) 開場 13:30  開演 14:00 
    12月4日(土曜日) 開場 18:30  開演 19:00
    12月5日(日曜日) 開場 13:30  開演 14:00

この「アラル海鳥瞰図」は、昨年創設された「宇野重吉演劇賞」の第一回受賞作品の舞台化です。

64点の戯曲の中から、見事その最優秀賞を受賞された高野竜氏の戯曲「アラル海鳥瞰図」は、演出家の根本コースケ氏が演出を、そして、出演者は7月に行われたオーディションで選ばれた7名が出演します。

そのオーディションに勝ち残った出演者の中に、ナーンと、我が四つ葉のクローバー会の歌姫、S女史も含まれるのです。

会のメンバーには、本当に多才でユニークな人が多く、ビックリさせられのですが、特にSさんはかわいい顔をしていて、それでいて3枚目的なキャラも持ち合わせていていつも驚かされています。

Sさんは、バンドも組んでいてボーカルやキーボードもこなしますので、歌はもちろんのこと、パソコンにまでも精通している多才な方なのです。

先日、ふとしたことから、「宇野重吉演劇祭2010」の話題になり、Sさんは「自分が出演すること」をひたすら隠してきたそうです。

でも、この私に知られたが最後、宣伝部長となり広く世にPRさせていただきますぞ。

最近では、稽古もいよいよ追い込み時期となり、深夜の1時、2時まで熱の入った練習が繰り広げられているそうです。

先日もラジオで「宇野重吉演劇祭2010」の予告をしていましたが、Sさんから説明を聞く以上に本格的な演劇のようで、とても楽しみなのです。

どうです。皆さんも見たくなったでしょう。

前売り券は1500円です。どうぞお早めにお買い求めくださいね。

以上、勝手に就任した宣伝部長より

2010年11月17日 (水)

新生kクラブ

春に寄せていただいたご縁で、秋の法座にもお招きを頂きました。

六月の「「老人会の春のお座」」と同様に、50~60人のお参りがありました。

センターには、立派なお仏壇も安置されています。私どものお内仏よりも、立派かもしれません。

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お世話方がお給仕をされ、準備が整ったところでお勤めです。本当に皆さん上手にお勤めをされます。

各地のサロンなどへ寄せていただくのですが、有り難いことに、こちらの地区は男性の比率が高く、そして、熱心に耳を傾けてくださいます。

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    仏さまに包まれた日々に、大安も仏滅、友引もない
    日々是好日  いのち、毎日新しい
    辛いことも、悲しいことも、嬉しいことも、みんなご縁
    南無阿弥陀仏に遇うご縁でした             合掌

2010年11月14日 (日)

宗教都市 勝山

勝山市では、本日の午前と午後、「白山平泉寺などを拠点に栄えた中世の歴史に触れてもらおう」と「白山文化フォーラム」を開催しました。

2001年(平成13年)に初回を開催し、今年で10回目を迎える「白山文化フォーラム」となります。

また、11日付の地元各紙でも、「坊院跡で石垣や石畳道発見」と「2010年度発掘調査の中間報告」の記事が掲載されました。

そんな関連もあって、午前中の「平泉寺史跡見学会」には60人近くが参加され、2班に分かれての遺跡見学となりました。

私も、過日の「朝倉氏遺跡見学」の余韻もあって、どうしても「時同じくして消滅した宗教都市跡」を見たくなり、「平泉寺史跡見学会」に参加してきました。

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見学会では、学芸員らの説明を受けます。また、見学者の素朴な質問などにも応じてくださる有意義な見学会でした。

    717年、泰澄和尚が白山信仰を開いて以来、平泉寺は「山岳信仰」から「神仏混淆」になります。

    平安時代、平泉寺は延暦寺末寺となり、1574年、一向一揆勢によって焼亡されるまで栄えていました。

    最盛期には六千坊が境内に立ち並び、僧兵は八千を超えた一大宗教都市でした。

    以後、境内の中心部は再興されますが、六千坊跡などの多くは、山林や田畑、人家の下に埋もれたままだったのです。

    中世の平泉寺の様子を描いた絵図が見つかったことがきっかけとなって、平成元年より発掘調査が始まります。

    この調査によって、坊院跡や石垣、石畳道、土器、陶磁器などが次々に出土します。

    世界的にも十数点しか残っていない、中国、元の時代(1300年代前半)に作られたとみられる「青白磁の観音像の一部」も発見されました。

平泉寺は、まだまだ発掘途中ですが、その全貌が明らかになる過程の見学は、ワクワクするほどの楽しみがあります。

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現在の発掘作業箇所です。手作業で、地道にコツコツと進められています。

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埋もれていた石を積み直し、整備された石畳と石垣です。こちらも朝倉氏遺跡と同じく「復原」だそうです。

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姿を現してきた石垣とその周辺です。井戸は見つかっていますが、便所については、まだ見つかっていないそうです。

これから、土塀の復原、平泉寺ガイダンスの建設など、着々と進められています。

朝倉氏遺跡とはまた違った視点から見る「中世都市の復活」を期待しつつ帰宅しました。

勝山のお寺は、この平泉寺六千坊の流れを継いでいる寺院も多いので、今度はそのあたりのところを尋ねてみたいところです。

とても興味があります。また、このような機会があったら勉強してきますネ。

今回は、これぐらいしておきますね。

2010年11月 9日 (火)

愛の家報恩講

本日の午前10時半より、「愛の家グループホーム勝山荒土」の報恩講に寄せていただきました。

6月の2度目の訪問の際は、私服で「手遊び」や「歌」を中心にひとときを過ごさせていただきました。

今回は、施設より「せっかくのご縁、皆で報恩講を勤めたい」との嬉しい依頼があり、寄せていただいたのです。

入居者の皆さん、きっと在宅の時は、それぞれのお寺にお参りされておられたのでしょうね。

部屋に入ると、壁に「六字名号」を掛け、報恩講の準備も万端で、今か今かとお待ちくださっていたようです。

皆さんの力強く、のびのびと艶のあるお声で唱和される「お正信偈」は、普段のお姿から想像できないくらいの躍動感がありました。

    この「お正信偈」は、「念仏」と「和讃」が唱和され、和讃は初重、二重、三重と音階が上がっていきます。

    そして、この「お正信偈」は、全体で約25分程度のお勤めなのですが、「初重から三重まで音階が上がることによって、自然と腹筋をを使った発声ができるようになる」という「効能?」もあるようです。

入居者の皆さんの「お正信偈」は、「毎日そのような声量でお勤めしていると、こんな私でもすぐオペラ歌手にでもなれそう」と思えるほどなのです。

残念なことに、とても皆さんのような声量で、毎日のお勤めは出来ませんので、おとなしくしていますネ。

お勤めの後の40分ほどのお話しも、皆さん静かに集中してお聴聞くださる姿に、こちらが緊張してしまうほどです。

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  Q:なぜ合掌するのですか?

  A:シワとシワを合わせて「幸せになりますように」などと、
    自分勝手なお願いをする前から、仏さまに願われている身で
    あったと知るためです。

    拳を振り上げ、何かにつけて相手を傷付けることしか
    できない私が、多くの人や物に支えられ、そして、許され、
    生かされていることを知り、頭を下げてお礼を申すためです。

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  Q:なぜお念珠(数珠)をかけるのですか?

  A:その手が離れないように包んでくださる姿、すなわち、仏さまが
    いつも私をつかみ取って離さないことを伝えるためです。

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  Q:なぜお念仏を称えるのですか?

  A:いつでも私と一緒だよと、阿弥陀さまが
    私を呼んでくださるお声です。

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この度の報恩講のご縁では、そのようなお取り次ぎをさせていただきました。

昼食は、施設の調理師の方が「報恩講料理」を作ってくださり、私も入居者の皆さんと一緒に報恩講料理のお相伴に預かりました。

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こちらの「報恩講料理」も、寺院やご門徒さん宅で用意されるお斎(おとき=食事)と一緒で、とてもおいしく出来ていました。

親鸞さまの好物と言われる小豆料理も、上品な甘さであっさりしています。また、お煮しめの大根や油揚げ、いんげんの白和えなど、どれも上手に出来ています。

まだ30代ぐらいの調理師さんなのに‥‥‥ウ~ン、負けたかも。

18人の入居者の方も、私とほとんど同じ量を、それはそれは美味しそうに、そして、和やかに召し上がっておられました。

もちろん、お当番さんの発声に続いて、皆さん大きな声で「食前の言葉」、「食後の言葉」をしっかりと唱和されましたよ。

感謝の言葉と共に、お料理をいただくことは、気持ちがいいですね。

すっかりご馳走になり、「愛の家」の皆さん、本当に有り難うございました。

2010年11月 8日 (月)

戦国城下町跡

昨日の11月7日、素晴らしい秋空にも恵まれ、無事に四つ葉のクローバー会の「一乗谷朝倉氏遺跡散策」が終わりました。

今回の散策は、7台の車に乗り合わせ、参加総勢23人の大所帯?です。

現地では、朝倉氏遺跡保存会の岸田会長より、お昼すぎまで熱の入った説明を受けることができました。

今回、会長直々の説明(ガイド)を受けられたのも、間に立ってお世話くださったS寺ご住職のS師のお陰さまであります。

私たちは、今回、聞いて初めて知ることばかりで
   こんな意味があったのかー
   あ~なるほどー、それでかー
と感心することばかりでした。

参加者は、「すごい」の連続で、「聞き上手が話し上手」とか「傾聴力」などと言われるように、ギャップを埋めようとする聞き手の姿勢、それに難無く答えてくださる話し手の豊富な知識から、大幅に予定時間を延長しての散策となりました。

ここ「朝倉氏遺跡」は、ソフトバンクのコマーシャルに使われて以来、急激に知名度が上がったそうです。

この「朝倉氏遺跡」がある一乗谷は、福井市街の東南約10kmに位置し、今から五百年ほど前に百年近く隆盛を極めていた戦国大名の朝倉氏の遺跡があります。

織田信長の焼き打ちを受け、あっという間に滅びてしまい、その後、城下町の跡がそっくり田畑に埋もれていました。

そして、昭和42年から進められている遺跡の発掘調査によって、1573年に滅びた城下町跡が浮かび上がってきたのです。

田畑として使われたときの土の下では、遺跡が有ったのです。そんなこととはつゆ知らず、遺跡の上で耕作してきた後世の人の驚きは、いかばかりだったでしょう。

きっと、遠い昔に賑わった城下町、この地の果たしてきた役割がより深く感じられることでしょうね。

岸田会長の説明の中で「復原」と「復元」、この「ふくげん」という発音が同じでも、意味の違いで漢字を書き分ける解説もありました。

例えば「復原(ふくげん)町並み」の「復原」は、発掘された石や土台をそのまま使い、忠実に再現した場合のみ「復原」という表現を使うそうです。

そして、少しでも違った再現をした場合は「復元」となるそうです。(ちなみに、調べてみますと、仏像修理の場合は「復元」であって「復原」ではないそうです)

つまり、この「復元」とは「失われて消えてしまったものを旧に復すること」を表し、また「復原」とは「初めの姿が改造されたり、変化してしまった現状を元の姿に戻すこと」を表すそうです。

朝倉氏遺跡関係の写真として必ず登場し、そのシンボル的存在の「唐門」は、織田信長によって焼き討ちに遭った後、朝倉義景の菩提を弔うために作られたもので、江戸中期に再建されたものとのことです。

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朝倉氏遺跡では「日本最古の花壇跡」があったり、国の特別名勝に指定されている「湯殿跡庭園」などもあります。

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高台から朝倉館跡を見下ろすと、時代を感じさせる苔の白さと、荒々しい石組に圧倒されます。

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ここからの見晴らしの良さは、最高でした。

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庭をバックに記念写真を撮りました。

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復原町では、当時の衣装で歓迎してくれます。そして、いよいよ昼食タイムです。

東郷地区の「ちぎの会」の皆さんが、地元の食材で作られた「おつくね弁当」を私たちのために特別に用意してくださいました。

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東郷地区の名物料理の入ったこの「おつくね弁当」の蓋には、S寺ご住職さまによる料理解説が描かれています。

へしこ寿司は、臭みもなく苦手な人でも大丈夫。独特の旨みが口に広がります。

その他に菜めし、とうがんの煮しめ、おつくね昆布巻、焼き揚げの根木味噌挟み、ほうれん草のしらあえ、スコなどなど。

ウ~ン、どれもこれもおいしいものばかりです。

どうです? 食べてみたくなるでしょ。でも、売り物ではありませんよ。もっか商品化に向けて研究中だそうです。

このお弁当は、ソフトバンクのコマーシャル撮影のスタッフの賄い弁当を頼まれ、地区の皆さんで用意したこの「おつくね弁当」の料理が大好評だったそうです。

それ以来、商品化に向けていろいろ研究、試作、試食を重ねておられるとのことです。私などは、「もう商品化してもいいのでは?」と思えるほどの完成度です。

こちらの「ちぎの会」の皆さんには、「おつくね弁当」の上に、おいしいキャラメル入りのアイスまで用意していただきました。本当にごちそうさまでした。

私どものようなわがままな依頼にも、気持ちよくふたつ返事で引き受けてくださった「東郷ふるさとおこし協議会」の皆さま、どうぞ機会があれば「勝山のまちおこし」も、よろしくご指導くださいませね。

こちらの「東郷ふるさとおこし協議会」は、国土交通省の「平成22年度、全国地域づくり推進協議会会長賞」を受賞されています。

本当に今回の散策は、「その受賞も当然のこと」と体感できる研修でした。

この度のご縁を結んでくださったS寺ご住職さま、また、岸田会長を始め、ちぎの会の皆さま、東郷地区の関係者の皆さま、本当にありがとうございました。

2010年11月 6日 (土)

ねがいごとパズル

全国組織の「NPOこども劇場」は、子供たちに「芸術文化」や「社会参加」などの体験活動を支援し、豊かな感性を磨き、生きる力を育成しようとする団体です。

平成2年には、その「NPOこども劇場」の趣旨に賛同できる親たちが集まり、「勝山こども劇場」も結成されました。

この「勝山こども劇場」では、特に人形劇、演劇、コンサートなどの「舞台芸術を間近で、しかも生(ライブ)で見せてやりたい」と、個人会員制をとって続けられています。

私たち家族も、子供たちが小さい時は、この「勝山こども劇場」にずいぶんとお世話になり、もちろん親子共々が楽しませていただきました。

最近は、少子化のためか「勝山こども劇場」の会員数も減り、知恵を絞りながらの活動をされているようです。

そして、この「勝山こども劇場」は、今年20周年の記念すべき年を迎え、それを記念してこのたび、会員以外の方へも呼び掛けた「例会公演」が行われました。

なーんとこの企画も、過日の「交流サロン」と同様に「四葉のクローバー会」の会員方が事務局をされているので、その応援も兼ね公演を観劇してきました。

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会場のJAテラル越前中支店の多目的ホールは、親子連れの方がほとんどで、「勝山こども劇場」の開設当初から携わっておられる方もおられ、150人以上の参加者で賑わっていました。

そんな記念すべき今回の出演は、演劇人冒険舎の「ねがいごとパズル」でした。

この「ねがいごとパズル」は、「劇団、あおきりみかん」の鹿目由紀さん作、演出による冒険物語です。

この1時間半の劇は、5人の出演者で演じられ、場面展開が早く、影絵あり、絵本の世界への瞬間移動ありと、飽きることなく大人も子供も楽しめる劇でした。

ストーリーは、劇の主人公であるユウスケが、絵本の「三つのねがい」の中に入り込み、絵本の主人公である由作と一緒に旅をします。

ユウスケと由作は、旅で願いを叶えてくれる仙人を探し当て、仙人に「願いは三つしか叶えることができない」と告げられます。

由作は、いつも母親から「人の頼みは聞くものだ」と言われていたので、仙人にまず他人の願いを三つ叶えてもらおうとします。

そして、「お母さんの目を治したい」という自分の願いを後回しにするのです。

由作のそんな態度にイライラしたユウスケは、先に願い事を言ってしまい、大波乱が‥‥‥。

結局、母親の目も治り、めでたし、めでたしなのですが、「心からの願いを見つけること」、「それを叶えるために努力すること」、それらの大切さがヒシヒシと伝わってくる内容でした。

観劇していた子供たちも、食い入るように舞台を見ていたようで、それは自分自身が絵本の中に入り、まるでユウスケと一緒に難問を説いているかのように考えたり、口々に意見を言い合ったりするのです。

今回のように大きな会場ではなく、すぐ手の届くところでの演劇は、物語をより身近に感じることができていたように感じます。

20年もの長きに渡って、途中に何度か解散の危機を乗り越え、「地域で生の舞台芸術と触れ合える機会を作るため」との思いを消すことなく続けてこられたことに頭が下がります。

これからも、末永く続けられることを願って止みません。

フレー! フレー! 勝山子ども劇場!(字余り)

興味のある方は、勝山子ども劇場事務局(電話:0779-87-1011)まで

2010年11月 4日 (木)

聞く(菊)の花

昨日、11月3日は「文化の日」でした。

勝山市では、毎年この「文化の日」に「勝山市教育委員会表彰」が行われ、その演壇に見事な「菊の花」が飾られています。

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毎年、演壇を飾り、受賞された方々を華やかに彩ってくれるこの「菊の花」は、TS先生が丹誠込めて育て上げられたものなのです。

今年は、夏の猛暑や9月に入ってからの長雨、それに続いた急激な冷え込みなど、菊を栽培される皆さんにとって最悪の年だったようです。

TS先生は、そんな「栽培が困難」といわれる中、「文化の日が一番の見頃」となるように調整され、例年と同様の見事な菊の鉢を十数鉢もお届けされました。

そして、私たちにも、その見事な菊の鉢を一鉢ずつ毎年お届けくださるのです。

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本当に手間暇をかけて育て上げた、正に「TS先生の子供」とも言える作品を有り難うございました。

そして、この「見事に咲いた花」を枯らさないように見守るのは、私の大事な大事な仕事です。(ウ~ン、これが結構難しいのです)

さて、菊作りで一番大切なことは、「良い土(土台)を作ること」、そして、育て上げた「菊の自慢」は、詰まるところ「土(土台)の自慢」になるそうです。

この「菊作り」と同様に、「何事も土台作り、基礎が肝要」といわれることは、すべての事柄に通じる秘訣ですね。

仏法を聞く(菊)身になるのも、多くのお育て(土台)の結果と言えますね。

そして、聞き続けることが大事ですものね。菊に負けないよう精進します。