法耕足跡 Feed

2011年3月 8日 (火)

越前そば道場

本日、全国で最初に誕生した「越前そば道場」へ行って来ました。

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こちらの「そば打ち道場」は、福井市内にある豪邸です。もう20数年も前から道場を開いておられたのですが、今回、不思議なご縁で初めて寄せていただきました。

当主の中山重成さんは、県内で幅広く飲食店を経営する企業の会長でもあり、福井のそば文化に造詣の深い『そば博士』でもあるのです。

初めての訪問なのですが、有り難いことに、そんな中山さんより色々なお話しをお聞かせいただくことができました。

中山さんは、2007年(平成19年)に米寿を迎えられ、ご高齢でいらっしゃるのにすごくお元気で、常に将来のことを考えておられるようです。

この道場を創設されたのは、「福井の文化でもある越前そばを全国に広めたい」との思いからだそうです。

そして、1985年(昭和60年)に中山さんが、全国初の「そば道場」を福井に創設されてからは、全国にそば打ち道場が広がり、そば打ち愛好家は現在も増加中です。

そんな中山さんの功績により、1996年(平成8年)からは福井で『全日本素人そば打ち名人大会』が開催されるようになり、今や福井は「そば打ち愛好家の聖地」とまでも呼ばれるほどになりました。

福井のそばを全国的に有名にした中山さんは、今年で16回目となる『全日本素人そば打ち名人大会』の審査委員長もされています。

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2階の部屋には、第1回から第15回目までの「歴代のそば打ち名人の写真」が掛けられてありました。

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そんな中山さんの「そば道場」へは、創設当初から全国各地より著名な方々がたくさん訪れ、そば打ちを楽しんでいます。

豪華な部屋には、故佐藤栄作元首相、元横綱の千代の富士など、政財界や芸能界の有名人が、そばを打っている写真も飾ってありました。

玄関には、数本の「蕎麦棒(麺打ち道具のひとつ)」が飾ってあり、アメリカの大リーグで活躍するイチロー選手や、松井秀喜選手が使用しているバットと同じ材質で出来ているそうです。

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当主の中山さんとの語り合いは、蕎麦談義ばかりでなく、仏法のことについてまでも及び、「できれば蕎麦だけでなく、この道場を心のよりどころになるような場にしていきたい」と仰いました。

また、中山さんは、「今までこうして生かされて来たのは、多くの方々のおかげであり、その喜びを少しでも多くの方々におすそ分けしたい」とも仰っておられました。

中山さんは、過去に多くの福祉事業にも貢献されておられるようです。

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短い時間ではありましたが、貴重なものと多くのことを学びました。

中山さん、お忙しい中、本当に有り難うございました。また寄せていただきます。

2011年3月 5日 (土)

敬念寺様のご法縁

信濃路最後のご法縁は、岡谷市にある敬念寺さまです。敬念寺さまは、諏訪湖近くの近代的な寺院です。

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ご住職は教化活動を活発にされておられ、岡谷市では他宗派が多い中で「唯一の浄土真宗本願寺派寺院」として頑張っておられます。

数年前より本堂、門徒会館、庫裏等を新築され、なお一層の門徒教化にも取り組まれています。

特に、毎日の常朝事を始め、定例法座、彼岸会、お盆、報恩講、各種行事など、御法(みのり)を伝える活動に注力されています。

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敬念寺さまの夜の法座にも、たくさんの参詣があり、「ひとえに日頃のご住職の教化の姿勢によるものであろう」と拝察いたしました。

法座の終了後には、ご門徒の方々で結成された合唱団「コールガンダー」の歌の練習会があり、見学させていただきました。

近日中に老人施設を訪問され、仏教讃歌等を披露されるそうです。お寺だけでなく地域の人々との交流にも熱心に取り組まれているようです。

夜のひととき、美しい歌声を聞かせていただきました。

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敬念寺さまのご講師部屋には、お裏方さまとご一緒に写った山下幸治ご夫妻のお写真が飾ってありました。

ご夫妻は、毎年ご本山へ岡谷の生糸を献上され、昨年11月の献上で22回目になるそうです。

山下ご夫妻がご本山へ献上された生糸は、御影堂の「御真影さま(親鸞聖人のお木像)のお念珠の絹房」となっています。

有り難いことに、山下ご夫妻がご本山へ献上された生糸の一部を、敬念寺さまにも納められ、それを拝見させていただきました。

暖かいご講師部屋で、ご住職の教化の姿勢や、ご参詣のお同行の姿、合唱団の美しい歌声、篤信な山下ご夫妻など、その感動の余韻に浸り、一晩ゆっくり休ませていただきました。

お朝事にも、早朝よりたくさんのご参詣があり、お勤めの後、一席お取り次ぎをさせていただきました。

ご住職さま、坊守さま、若院さま、若坊守さま、ご門徒の皆さま、大変お世話になりました。有り難うございました。

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    感想などありましたら、どうぞ気軽にコメントしてください。

2011年3月 4日 (金)

極楽寺さまご法縁

昨日に引き続き、「信州長野のご法縁」を報告させていただきます。

このたびご縁をいただいた極楽寺さまは、JR松本駅の近くにあり、幼稚園も併設し、真宗保育にも力を入れておられるお寺です。

昼食後、午後の法座の開始前に、ご住職から次のようなご案内がありました。

  本日の法座は、新年会を兼ねての法話会ですので、
  法話の後、落語が一席あり、落語の終了後に宴会をします

布教を終えた私は、「どんな噺家さんが登場するのかな?」と本堂で待っていますと、出囃子に乗って登場したのは、なーんと衣装を着替えたご住職です。

参詣の皆さんの「ヨッ!待ってました」との掛け声と、大きな拍手で高座に上がったご住職の姿は、「ピシッと決まったプロの落語家」そのものです。

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ご住職は、昨年より1年間、毎月2回、上方落語の聖地、大阪の繁盛亭へ通い、師匠に付いて落語を学ばれたそうです。

晴れて師匠より「八軒家 五九楽」との高座名をいただき、昨年よりお寺の報恩講や幼稚園の行事などで落語を披露されているそうです。

  写真の立派な高座は、ご住職が檜を購入し、
  友人の建具屋さんに作ってもらったそうです。

イヤ~~高座の近くで拝見し、そのプロ顔負けの見事な話術に驚き、「私のお取り次ぎが前座でよかった」と思ったほどです。

ご住職の落語の後では、やっぱり分が悪すぎます。

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そんなご住職の落語で大笑いした後は、門徒会館にて新年会が開催されました。

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新年会は、ご住職と門徒総代のご挨拶に続き、乾杯の音頭と共に宴会が始まり、婦人会の皆さまとも、楽しく飲み、語り合いました。

ご住職さま、坊守さま、ご門徒の皆さま、本当にお世話になりました。そして、ご馳走さまでした。 すしかったです。

2011年3月 3日 (木)

松本城観光

本日も、2月に寄せていただいた「信州長野県の法耕足跡のご縁」を報告させていただきます。

安養寺さまにての院外布教後、同じく松本市内の極楽寺さまへの移動の際、松本城に立ち寄り観光をして来ました。

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松本市の観光名所で有名なのは、やっぱり国宝の「松本城」ですね。

この「松本城」は、もともと「深志城(ふかしじょう)」といい、その黒漆塗りの美しい天守閣から「烏城(からすじょう)」との別名も持っています。

そして、日本国内に12基現存している安土桃山時代後期から江戸時代にかけて建造された「天守を有する城のひとつ」としても知られます。

松本城に到着したのはお昼近くでしたが、天候にも恵まれ、多くの観光客で賑わっていました。

きれいな雪化粧の山々を背景に、松本城が大きくそびえ立っています。

この季節の松本城は、漆黒の天守閣と、白く雪を抱いた北アルプスの山々とが、この時期ならではコントラストを見せ、それはもう見事な景観です。

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そんな松本城の見学を済ませ、極楽寺さまへ向かう道中に一風変わった「オブジェ」が目に留まりました。

その「オブジェ」は、とても大きく、観光客の目を奪う、凄い迫力の「3匹のガマガエル」です。

この「オブジェ」には「がまざむらい像(東京芸術大学の寄贈品)」とあり、茶色のガマガエルの背中に乗った2匹の白いガマガエルが見栄を切っています。

私には、この「オブジェ」が一体何を表すのか分かりません。「芸術の世界」というものは、常人の目にはなかなか受け取りにくいものがあります。

その点、誰でもが受け取り易く、称え易い『お念仏』をいただけるのは有り難いことです。

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しかし、その『お念仏』のみ教えを、誰でもが聞き易く説法することは、難しいことです。どこまでも布教使としてお育てを受けるばかりでありました。

さて、尊いお育てに預かるご縁です。そろそろ極楽寺さまに向かいますかな。

2011年3月 2日 (水)

三溝の安養寺さま 

遅くなりましたが、2月の中旬に寄せていただいた「信州長野県の法耕足跡のご縁」を報告させていただきます。

長野別院の院外布教に松本市波田の「安養寺さま」にご縁をいただきました。

安養寺さまには、ずいぶん以前よりお世話になっていますが、年々本堂や庫裏、門徒会館が立派になっています。

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大変なことと思いますが、寺族、門徒の皆さま方のご尽力には頭が下がります。

もちろん建物だけでなく、教化活動も熱心に展開され、法座の際には数人の方がメモを取りながらお聴聞されておられました。

ここ安養寺さまでも、午後と夜の法座の後には、門徒会館にて茶話会をされます。

茶話会では、ご門徒の方々が作られたお料理を頂戴しますが、安養寺さまでは、リンゴ農家の方々が創作された様々な「リンゴ尽くしの料理」を頂戴しました。

北陸の越前ではお目にかかれない、口にすることの出来ない逸品を沢山いただき、忘れられない想い出となりました。

また、こちらの安養寺さまは「しだれ桜の名勝」としても知られ、季節には多くの観客が来られるそうです。

そんな安養寺さまの境内には、20数本の桜があり、そのうち本堂正面にある2本は、樹齢三百年~五百年で、町の天然記念物にも指定されています。

毎年4月上旬には、桜の開花に合わせて「親鸞聖人の降誕会法要」をお勤めになられるそうです。

なかなか機会がありませんが、ぜひ一度、安養寺さまへお聴聞がてら、しだれ桜の優雅な美しい姿も味わいたいものです。

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この度のご法縁は、ご住職さま始め、坊守さま、若院さま、ご門徒の皆さまには大変お世話になり、本当に有り難うございました。

2011年2月18日 (金)

北信流お盃の儀

本日も、信州長野県からお届けして参ります。昨夜は、院外布教で長野市の専福寺さまにご縁をいただきました。

2月の法座は新年会を兼ねての法座で、勤行では大遠忌法要で依用される「音楽法要のお勤め」をされました。

夜席のご縁でしたが、多くのご門徒の方々が参詣され、熱心にお聴聞してくださいました。ご参詣の大半は男性で、地域の世話役をされている方々です。

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法座終了後、本堂下の会館にて新年会が開かれ、私が乾杯の音頭を取らせていただき、おいしい手作り料理を頂戴しました。

ご住職さま、坊守さま、総代の方、世話役の方が、次々とお酒やビールをお酌をしてくださり、杯は休む暇なく口に注がれます。

こうした宴は、お寺とご門徒の方々と、飲み語りながら親睦を深め、ご法義話ができる絶好のご縁だと思います。

宴たけなわになったころで、「北信流(ほくしんりゅう)」が始まりました。


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この「北信流」とは、長野県の北の地域(北信地域)で行われている「主に宴会の席での中締めの儀式」をいいます。

招かれた側が、感謝や苦労をねぎらう意味でお酒を差し上げ、主催者がそれを返杯するという形で行われます。

    本日は盛大な宴会を催していただき誠に有り難うございます。この場をお借りして、本日ご苦労いただきました方々にお杯を差し上げたいと思います。

このように、このたびの専福寺さまの新年会では、まず、世話人代表の方の発声で「北信流」が始まりました。

次に、杯を受けるご住職さま、坊守さま、布教使、寺族の方、総代の方が中央に出て並びます。

そして、杯にお酒が注がれ、謡が唄われます。その間、二度杯を飲み干します。

謡が終わりますと、ご住職さまがお礼を申され、今度はお酒を返杯します。返杯の際は、謡に代わって「恩徳讃」を皆で斉唱し、宴会は中締めとなりました。

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長野県郷土資料によりますと、儀式で謡を唄うような習慣が残ったのは、「戦国時代に武将が出陣する折、主君の武運を願って行われたのが始まり」とのことです。

この「北信流」も「松代町が発祥」と言われ、別名「真田十万石流」とも呼ばれ、松代藩(武家)から興ったもののようです。

松代藩は「二度と徳川家に弓を引かない」ということで、武芸よりも学問や芸能が奨励され、江戸時代には能楽が盛んに行われたそうです。

こうして謡も武家から庶民に普及し、「感謝」や「お礼」を表すものとして、宴会で謡が「お肴(さかな)」という形で出されるようになったとのことです。

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専福寺さまの新年会は、中締めの後、まだまだ宴は続きますが、女性方が作られたおいしいカレーうどんを頂戴し、途中で退室させていただきました。

お酒はもちろんですが、どのお料理もおいしかったです。

私は、自宅ではあまりお酒を飲みませんが、他所に行くといくらでも飲む悪い癖があります。〔いくら何でも 土徳の地 信州で深酒(真宗)僧侶?では‥‥〕

このたびのご法縁、専福寺さま、ご門徒の皆さま、洵に有り難いご縁でございました。そして、本当にご馳走さまでした。   合掌

2011年2月17日 (木)

PET Bottle Cap 六字名号

長野別院のすぐそばには、有名な「信州 善光寺」があり、その山内には多くの寺院が軒を並べています。

昔から「遠くとも一度は詣れ善光寺」とか「牛にひかれて善光寺参り」と言われるように、雪の中でも全国各地より参詣者が絶えないようです。

昨年に引き続き、このたびも「牛にひかれて」ではなく、「親鸞聖人のご遺徳にひかれて善光寺参り」をさせていただきました。

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今年はここ長野も大雪で、善光寺の本堂前は、屋根から落雪の危険があるため、迂回して内陣参拝することになっていました。

善光寺本堂の手前(西側)には、松を手に持って奉納される親鸞聖人の「お花松銅像」が立っています。

これは「越後より関東に向かう途中、ここ善光寺に参拝され、ご本尊に松を供えられた」との故事から建立されたようです。

また、善光寺の山内には「親鸞聖人が百日逗留された」といわれる「堂照坊」もあり、親鸞聖人が笹の葉で書かれたという「六字名号(笹文字御名号)」が厨子に収められ、本堂に安置されています。

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ところで「六字名号」とは「南無阿弥陀仏」ですが、このたび親鸞聖人750回大遠忌法要を迎えるに当たり、長野教区では第1ブロック少年連盟合同で「ペットボトルのキャップ(PET Bottle Cap)で六字名号」を制作されるそうです。

第1ブロックは、北海道教区、東北教区、新潟教区、国府教区、長野教区、東京教区の6教区で構成されています。

6教区の子供たちが、それぞれ六字名号の1文字ずつをペットボトルのキャップで制作し、それを六角形のお名号にして、親鸞聖人750回大遠忌法要の期間中ご本山に展示されるそうです。

もうすでに長野教区では「南無阿弥陀仏」の「弥」を作られました。

子供たちが完成させた「六字名号」のお念仏は、すばらしいものになりそうです。

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これをご縁に、一人でも多くお念仏をいただいてもらえたら、有り難いことです。

2011年2月16日 (水)

信濃路の法縁

今回で16年目、今年も「長野別院の常例布教」で、お取り次ぎのご縁をいただいております。

ですから、本日のブログは、長野別院のネット回線をお借りして書いております。

ここ長野市は、勝山市と比較したら問題にならないほどの少ない積雪ですが、それでも「今年は珍しく大雪になった」とのことです。

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さて、本日16日は、宗祖親鸞聖人のご命日(月忌)にあたり、長野別院でも「親鸞聖人御命日逮夜法要」が勤まりました。

逮夜法要は、小人数のご参詣で、その寂しい姿を見て、本堂前の親鸞聖人像が厳しく迫ってくるような感を受けました。

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法要勤行は、副ご輪番、S師の調声で、十方に響き流れる声で勤まりました。

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    親鸞聖人のご生涯を偲び、「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたす
    けられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほか
    に別の子細なきなり」と、法然聖人との出会いによって念仏に遇った喜
    びを語り、お念仏を称えることは、阿弥陀さまの願いを聞くものである

本日のご縁では、このようなお話しをさせていただき、お取り次ぎの後、参詣の方々と茶話会で楽しく「語り合いの場」を持たせていただきました。

このように長野のお寺では法座終了後、必ず「茶話会」をされます。日常のお話し中からお念仏の教えを聞き開く「ご信心の伝統」なのでしょう。

信仰の座談を重視された蓮如上人も、「ものを言え、ものを言え」と言われ、「心底をさらけ出し、自らを今一度確かめよ」とお勧めです。

ですから、お互いに気兼ねなく話し合えるこの「茶話会の輪」に加わる「信濃路のご法縁」は、布教使として、また格別な楽しみなのです。

2011年2月12日 (土)

真宗教団の行方

今日は久しぶりに午前と午後に永平寺町のJ地区老人会の法話に行って来ました。以前は地区の道場で法座を開いていたのですが、生活改善センター(名称・ふれあい会館)が出来てからは、地区行事はすべてそこで行われているようです。お寺とは違い冷暖房完備のすばらしい施設での法座でありました。大勢の参詣があり、道場主の調声で正信偈のお勤めをされ、熱心に聴聞してくださいました。お昼はお弁当を頂きながら道場主Aさんと語り合いました。

Aさんは「昔と違い、今はお寺や道場の法座に足を運ぶ方々はずいぶん少なくなりましたね。先日もご本山へ講社連盟の会合に寄せていただきましたが、驚いたのは、以前は全国に講社の数が800以上あったのが、今は300以下に減ってしまったのですよ。情けないことです。何とかならんものですかね‥‥。」と言われましたが、私自身「僧侶の姿勢が問われた思い」で返す言葉がありませんでした。いよいよ「お寺が消える」時代がやってきたようです。

先日は本願寺派総局が総辞職し、総長は再任で総務一新されました。筆頭総務に福井教区のT氏が入局しましたので、早速お電話で「おめでとうございます」と祝辞を申すと、「いやー、めでたいかどうかわかりません‥」と苦慮の様子でした。本当に大変でしょうが、総局にはこれからの宗門の方向性を真剣に考えていただきたいものだと思います。宗祖の七百五十回忌法要を機縁として、真宗教団の行方を僧俗ともに考えていかねばならないことと思います。

そんな折、北海道に布教巡回している法友H氏からメールが届きました。北海道の雪まつりが真っ最中とのことで、沢山の雪像作品の中に「西本願寺の国宝 飛雲閣の雪像(本願寺新報に掲載)」があるという。ぜひ見たいものですが、とても行けません。噂で聞くところによると、なんとその制作費用が四千万円かかったとか。そのうち本願寺(北海道教区?)が一千万円の助成金を出されたとか(真意は定かではない)。尚、雪まつりの開会式には総長が出席されたとのことです。それが本当ならたいしたものですね。

(私見ですが、雪害見舞い、火山灰被害の助成をしてもらえたら有難いです)

2011年1月 5日 (水)

初法座

雪の新年を迎えさせていただきました。

家族全員で本堂前と庫裏を除雪して、午後2時より「修正会法要」を勤めさせていただきました。

雪の降る中を遠近各地よりお参りくださいましたこと、本当に、ようこそ、ようこそのお参りでございます。

皆さんでお正信偈のお勤めをして、年あらた、こころあらたに、ご法話させていただきました。

その後、御流盃の儀として、お供えのお酒を酌み交わし、記念撮影をして語り合いました。

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ところで、本年はいよいよ「親鸞聖人七百五十回忌法要」をお迎えいたします。

次の写真は、某冊子に載っていたものです。

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宗祖、親鸞聖人の「世の中安穏なれ 仏法ひろまれ」と願われた心を、今一度考えていかねばならないと思います。

昨年読みました「今、ここに生きる仏教(ご門主と上田紀行氏の対談集)」の中に、ご門主が「ハンドルとしての教え」と「エンジンとしての教え」ということを指摘されていました。

今、ここに生きる仏教

    布教のする中で、今までの教えはハンドルみたいなもので、「道を
    間違えてはいけない、正しい方向へ行こう」と一生懸命言っても、
    エンジンが無いから、必死にハンドル回しても前に進まない。

    エンジンで前に進むような、元気の出てくるような教えを研究する
    ことが大切だ。

ご門主の著書により、改めて教えられました。

なるほど、いくら知識、論理で語っても、行動につながらない。

やはり、「信心によってエネルギーが湧いてくるような布教」でなければならないことを知らされました。

阿弥陀さまの心を頂いた人は、教えが行動に現れることです。

今年頂いた年賀状の中に、M先生の言葉が有難く読ませていただきました。

昨年お母さんを亡くされたご住職がその思いを次のように詠われてありました。

    めでたくも こころ寂しい お正月
      浄土(みくに)に往きし 母を想えば

浄土真宗のみ教えをいただくことは、どんな悲しみの中であっても、立ち上がって行く力を頂きます。

本願力というお念仏によって支えられ、乗り越えて人生を歩ませてもらいます。

今年は「ハンドル」だけでなく、「エネルギーのある教え」を語りたいものです。