« 2010年8月 | メイン | 2010年10月 »

2010年9月

2010年9月30日 (木)

節談説教

一昨日、お付き合いのお寺の報恩講に出勤してまいりました。

今年の布教は、節談説教の大家、M師(兵庫県専○寺)です。先生は「住職の親友の師匠」ということもあって、ご挨拶にお部屋へ寄せていただきました。

先生の「83歳」という年齢を感じさせないご様子に感服しました。

Img_1659 Img_1658

こちらの報恩講では、今回のお座のために立派な高座を借りられ、チラシもあちこちに配布されたとのことです。

そんな入念な準備をされた甲斐もあって、普段お寺に足を踏み入れたことのない方もたくさん参って来られていました。

きっと前列のご婦人方は、「今日がお聴聞デビューでは?」と思われます。

節の付いたお説教「節談」といっても、「浪花節」や「浪曲」のようではなく、初めて聴かれる方がほとんどなので、それは新鮮な体験だったことでしょう。

参拝者へ、「できるだけ現代的な語り口調での節談の説明」や「先生が節談をされるようになった経緯」なども交えながら、お取り次ぎをされました。

先生の絞り出すような渋いお声で、時折ユーモアも交えながらのお話は、雑念を起こす暇もないほど、すっかり参拝者の心を魅了してしまいます。

江戸の前期、寛永時代の数奇な生まれの僧のお話を例に「信心正因、そして念仏は仏恩報謝です」と、お取り次ぎをくださいました。

    「我称え 我聞くなれど 南無阿弥陀仏
          連れていくよの 弥陀の呼び声」

明治時代の学僧、原口針水和上のお言葉を引用され、お示しくださいました。

有り難いご縁でした。

2010年9月29日 (水)

坊守会ご一行参拝

本日の午前中に、住職の暁天講座での布教がご縁となり「三門徒派の坊守様方ご一行」が参拝されました。

ナーンと、三門徒派のお裏方様もご一緒です。

さて、浄土真宗を信奉する教団は、いろいろの歴史的な事情から、現在では十派に分流しています。

それは、本願寺派(西本願寺)、大谷派(東本願寺)、高田派(専修寺)、佛光寺派(佛光寺)、興正派(興正寺)、木辺派(錦織寺)、出雲路派(毫摂寺)、誠照寺派(誠照寺)、三門徒派(専照寺)、山元派(證誠寺)の十派です。

私たちの住む福井県には、毫摂寺(真宗出雲路派)、誠照寺(真宗誠照寺派)、専照寺(真宗三門徒派)、證誠寺(真宗山元派)の4派の本山があり、真宗十派の寺院数が七百余りになる「浄土真宗の法義に深い土地柄」なのですよ。

ネッ! 福井県には、この「4派の本山がある」のですから、スッゴイでしょ。

三門徒派(通称:中野本山)は、約7百年前の1290年に「高田専修寺」に属していた「如道上人」が、福井市の大町に専照寺を建立されたのが始まりです。

この「三門徒の謂れ」は、「横越の證誠寺」、「鯖江の誠照寺」、「中野の専照寺」が相対して存立されていたので、世の人々はこれを「三門徒衆と称した」とされています。(そうなんだー 知らなかった)

三門徒派の開基、如道上人は、善鸞様の教えも導入されているといいます。(どんな教えなのかな?)

Img_1654
三門徒派の坊守様方ご一行

 
親鸞聖人物語(DVD)

昨夜、関西の布教から帰ってきた住職は、三門徒派の坊守様方へご挨拶と、記念写真に収まり、「 paper 坊守よ、後はよろしく頼む」と能登へ出かけていきました。

その後、皆さんには、親鸞聖人のご生涯を描いた「ご絵伝人形」を見ていただきました。

でも、考えてみたら「皆さんは坊守様」です。この私があえて説明するまでもなく、よくよくご承知のことばかりなのに、それでも静かに聞いてくださいました。

やっぱり、お裏方様の前ですから、「丁寧に説明しなければ」と気負い、緊張もしてしまい、しばしば言葉を噛んでしまったようです。

(皆さんから「一体どこからどこまでが丁寧なの?」と言われそうな予感)

何とか「ご絵伝人形」の説明も終わり、休憩をしていただきました。一時間ほどのご滞在でしたが、とても勉強になった「坊守様方ご一行の参拝」でした。

三門徒派の寺院、布教所数は約40箇所で、北海道にもあるそうです。

お寺同士がとても家族的で、仲睦まじくお付き合いされているご様子に「御同朋、御同行の姿」を見ることができました。

坊守様方ご一行は、西宮寺を出て「はたや記念館 ゆめおーれ勝山」でコースター作りにも挑戦され、その後、大野へ向かわれました。

空模様と相談しながら、自由に研修旅行をされるご一行が、本当にうらやましく思えました。(我が派では、とても無理なことですから‥‥)

三門徒派の皆様、バタバタで申し分けありませんでした。どうぞ、またのご縁をお待ちしております。confident

2010年9月26日 (日)

十年後に届く手紙ー2

前回の続きです。

長男は、「母には 口に出して 言ったことはないけど‥‥」と語り、それから次のように続けます。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

    母は、人より
    しょっちゅう身体を壊しやすい体質。

    その度に体調を無視してやっている。
    本当に頑張り屋さんです。

    将来は、法律関係の仕事に就いて
    母に楽させてあげたい。

    今まで もらった全てのことを
    1.3倍くらい返したい。

    今まで13年間ありがとうと
    まじめに思っている。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

お母さんの思いは、ちゃーんと伝わっているのですね。

10年後に届いた手紙で、改めて「親の気持ち」、「子供の気持ち」を再確認できたようです。

毎日一緒に暮らしている親子でも、「大事なことを伝える」と言うことがなされていない?

イエイエー、感謝の気持ちはあるのに、笑顔で伝えたいのに、なかなか口に出して言えないものなのです。

でも、なかなか言えない言葉だからこそ、「時には伝えたい『ありがとう』の言葉を」ですよね。

広島の詩人、栗栖晶さんの「ありがとう」の詩の最後に「ありがとうは、しあわせのあいさつです」とあります。

ウ~ン この詩を読んで、「あちこちで『しあわせのあいさつ』が交わされるといいなあー」と思うのです。heart01

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 追伸 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

実は、私も1985年の筑波科学博覧会のイベントで「21世紀のあなたに贈る手紙」を書きました。

2001年の元旦、年賀状と共に「16年前の手紙」が届いた時は、本当にビックリし、感激でした。

当時は、上2人の子供と4人家族で、その「16年前の手紙」は「子供に宛てた遺言書」でした。

おかげさまで「16年前の手紙」が届いたときも、ピンピンしていましたが、16年前の自分に会えて一番感動したのは「当の私」でした。

この「16年前の手紙」は、下2人の子供も含め、4人の子供たち用に保管してあります。内容はヒミツです。

2010年9月25日 (土)

十年後に届く手紙-1

10年前、2000年(平成12年)に「福井テレビわんぱくフェア」の会場で「10年後の子供たちに手紙を書く」というイベントがあったそうです。

題して「十年後に届くママからの手紙」です。

それは、ママに限らず、パパや、おじいちゃん、おばあちゃんが書いた手紙を毎年預かり、10年後に届けてもらうというイベントです。

そして今年は、福井テレビが10年間保管していた「それらの手紙を初めて届ける年」にあたります。

預かっていた手紙810通のうち、宛先不明で、どうしても届けることの出来なかった手紙が68通あったそうです。

先日、福井テレビで「何通かの手紙を追跡し、その現状を聞く」という番組が放映されました。

番組で放映された3通のうち、1通のご家族の事例をご紹介します。

2通のご家族は、お子さん2人、または、下の子が出産間近で、「10年後の両親と、2人の子供で仲良く暮らしているであろう家族」に宛てた手紙でした。

そのご家族の想像通り、健やかな子供たちの成長と、夫婦仲むつまじい家庭に届いた手紙は、見ていてもほほえましく、またうらやましいものでした。

しかし、3通目のご家族は、10年前はご夫婦と3歳、1歳の男の子の4人家族で、子育てに追われ本当にバタバタで、大変な最中にママが書いた手紙でした。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

    ママは、今、大変です。
    手紙を書いている間も、大変です。

    でも、10年後、きっといい子になっていると思って
    頑張っています。

    明後日は、富士急ハイランドへ行く予定です。
    10年後でも、覚えていてくれていますかね?

    昨日は、一生懸命、土地探しをしていました。
    パパと。

    10年後は、家ありますか?
    それぞれに部屋あたっていますか?

    あまり長いこと時間かけていられないので終わります。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

そして10年後、やっと探しあて、手紙を届けた時は、お父さんがその3年後に急な病気で亡くなり、お母さんが2人のワンパク坊主を無我夢中で育てておられる真っ最中でした。

10年て「アッ」という間です。でも「一寸先は闇」と言われる通り、ほんの少し先のことでさえも、何がどうなるかわからない。

思い描いていた通りになっていることの方が、おかしいとも言えます。「まさかこんなことになるなんて」という方が、現実なのかもしれません。

アナウンサーの「当時のことを振り返ってもらっていかがですか?」の問いに、そのお母さんは次のように答えられました。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

    悲しむまもなく、子供と文字通り生きるので必死でした。
    ひとつ前のことを思い出すことが、疲れて思い出せない。
    それぐらい、毎日がいっぱい、いっぱいです。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

振り返ることができる。立ち止まって考えられる。これ自体が「恵まれていること」と、初めて気づきました。

その手紙をじっと聞いていた長男が、お父さんが亡くなってからのお母さんの頑張りぶりをこう話しました。

次回につづく‥‥ 

2010年9月22日 (水)

仲秋の名月

今日、9月22日は「仲秋の名月」です。

一年で最も美しい満月の夜だというのに、あいにくの雨のため、月を見ることができません。

しかし、こんなこともあろうかと感が働き、昨夜、すばらしい月をゲットしておいたのです。(なんと気がきく‥‥自我自賛)

Img_1640

昨日も、パラパラと雨が降ったと思えば、ムシムシと暑かったりと、今ひとつのお天気でしたが、夜はまたとないきれいな満月を見ることができました。

空を見上げれば、きれいな月が見られるのに、気にもかけない人にとっては、月が出ていようが、隠れていようがおかまいなしです。

  月影の至らぬ里は なけれども
       眺むる人の 心にぞすむ  (法然上人)

お陰で「切れ味」のあるこの句が浮かんできました。

私たちは、「仏さまから背を向けよう」としがちですが、仏さまのお慈悲はすべての人に分け隔てなく注がれています。

振り向いて、「すばらしい月が、この私を照らしている」ということに、どうか気付いてください。

皆さん「見てください」と月が語りかけていますよ!

ホーントに今日は、月が見れなくて残念です。

2010年9月21日 (火)

「おめでとう」の多い人生に

昨日は、敬老の日でした。

高齢者を敬う日、わざわざ特別に日を設け、殊更勿体付け、行事を行わなくても、「毎日が敬老の日」なのですよね。

母の日、父の日、こどもの日、お盆やお彼岸など、その日だけに限らず、常日頃から敬い、行動していればいいのですが、当たり前すぎて出来ないのが、私たちです。

ですから、「せめてこの日だけでも」ということだと思います。

当に「言うは易し、行うは難し」ということです。

20日の福井新聞に次のような内容の「サントリーの広告」が掲載されていました。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

「おめでとう」の多い人生に、おめでとうございます

一年に、「おめでとう」といわれる日は、何回ありますか。

あけまして おめでとう。
お誕生日おめでとう。

もしかしたら、それくらいかもしれません。

だけど、そんな「おめでとう」が
たくさんある人生って、しあわせですよね。

昨日より遠くまで歩けた。  おめでとう。
毎日メシがうまい。  おめでとう。
一緒に笑える友がいる。  おめでとう。
学び続けたいものに出会った。  おめでとう。

小さなことでも、「おめでとう」という言葉にすると、
人生は、もっと、楽しめる。

「おめでとう」といっぱい言える人生、
「おめでとう」といっぱい言われる人生。
それは、健康で元気だからこそ、味わえる。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

ウ~ン、最後一行には賛同できない私です。広告だからしかたないとして、それ自体(健康で元気)も、とても「おめでとう」なこと。

今日は、敬老の日。積み重なった「おめでとう」を心から味わう日。

今年も健やかに敬老の日を迎えられること。そして、すべての人生に、おめでとうございます。

Img_1642

77歳現役のプロスキーヤー、冒険家の三浦雄一郎さんは、80歳で3度目のエベレスト登頂を目指し、トレーニングに励んでおられるとのことです。

(さすが? サントリー セサミン!)

「しあわせなこと」や「おめでたいこと」は、「何でもない在り来たりの日常に一杯ある」ということですよね。

あまりに、在り来たりすぎて、見落としがちになってしまう私のために、「せめてこの日だけでも」という日が設けられたのですね。

(しばらく会っていない父にありがとう)

2010年9月20日 (月)

彼岸会勤まる

本日の午前と午後、お彼岸の法座が勤まりました。

朝夕、急に涼しくなり、「お参り日和」と思いきや、返ってお聴聞以外のことが気にかかるようで、30数人のお参りでした。

今日の法座も、住職と坊守で勤めさせていただき、何だか静かに事が運び、「こんな法座も、またいいなあ~」と思えるようになりました。

Img_1637 Img_1639

みなさん、熱心に聞いてくださいました。

で、「私は」といえば、午後から時間が取れたので、座ったとたん、さわやかな陽気と、皆さんの「ウン、ウン」という頷きの声を聞きながら、ウトウトとしてしまい、情けないことでした。

 

「 蒔けよ蒔け 仏の種も 彼岸より 」

 

お釈迦さまは、人それぞれにあった「対機説法」をしてくださいます。

  1.まず、「応病与薬(おうびょうよやく)」をなさる
  2.そして、「抜苦与楽(ばっくよらく)」される
  3.その結果、「転迷開悟(てんめいかいご)」となる

こんな私に見合う「説法」や「薬」に、きっとご苦労されているでしょう。

お参りされる方は「通院患者」で、寺族の者は「入院患者」とはよく言ったものです。

それは、事あるごとに、お聞かせいただいていることで、「だから何とかここまで続けられているんだろうなあ~」と、ヒシヒシ感じる今日この頃です。

これからも、いろいろなことがあるのでしょうね。イエ、生きていく上で、嫌なこと、辛いことなど、これからの方が多いと思います。

その度に、「対機説法」をよろしくお願いします。 confident

2010年9月18日 (土)

相撲大会を観戦

本日の午後1時半より、神明神社相撲場にて「第42回 勝山市地区対抗 相撲大会」が開催されました。

この相撲大会は、古くは300数十年前、勝山市が小笠原藩時代の頃に行われていた「御前試合」や「奉納試合」が前身だそうです。

そして、昭和もずいぶん過ぎてから「市民体育大会の一貫」として「地区対抗」で行われて以来、今年で42回にもなるそうです。(すごい!)

開会式に出たついでに、少し相撲を見てきました。

Img_1627

テレビでしか相撲を見たことがないので、目の前での取り組みは、ハラハラ、ドキドキでした。

ちょっとの取り組みでも、モー痛そうで、「怪我をしないだろうか」という心配が先に立ちます。それだけの迫力がありました。

プロのお相撲さんは、テレビで見ていても、もっと厳しい対戦をされ、「怪我がつきもの」というのも納得です。

柔道も、相撲も、「先ずは受け身から体得する」というのもよく分かりました。

倒れても、倒れても、すぐに立ち上がれる「強靭な肉体」と「不屈の精神」を作らねばなりません。

そして、無理な体勢で踏ん張り、倒れないようにするばかりでなく、「いかにうまく倒れるか」ということも、とても大事なことです。

出来るだけ身体にダメージを受けないように倒れ、そして、再びすぐに立ち上がれるようにする。

私たちも、人生の厳しい試練に、倒れても、倒れても、立ち上がれるよう「たくましい体」と「強い心」を養わなければなりません。

 

~お念仏は、苦難を越える杖である~

 

Img_1634

この迫力、怪我がなくて、よかったです。日頃の鍛錬が大事ですね。

2010年9月17日 (金)

実家寺の報恩講

3日ほど続いた雨もようやく止み、涼しい一日となりましたね。

そんな秋の柔かい気配がする本日の午前と午後、実家寺の報恩講が勤まりました。勝山地区では、報恩講の一番バッターです。

自坊の報恩講が10月に勤まるため、実家寺の報恩講はどうしても早い時期に勤めることになります。

愛知方面の法耕の旅へ出向いていた住職は、昨夜、無事に帰ってまいりました。

昨日までに、報恩講の準備を万端滞りなく整えたつもりです。後は、お参りの方を待つばかり‥‥。

実家寺の30軒弱のお同行は、ほとんどのお宅が兼業農家で、もう稲刈りも済んでおられる頃。アア~それなのに、それなのに‥‥待てど暮らせど来ぬ人を‥‥。

結局10人のお参りでした。

Img_1622

若院も法務で帰ってこれず、住職の自勤と相成りました。

午後からは、住職の兄、法専寺の住職も出勤してくださり、その後、若貴兄弟のごとく、一席ずつ兄弟でお取り次ぎしてくれました。

Img_1626

とても贅沢な法座となりました。自坊の常例法座でも、なかなか座って聴ける時間がないので、今回はゆっくりと、心静かにお聴聞できました。

これも、かえって有り難いご縁です。でも、やっぱり寂しいなあ~‥‥。

2010年9月16日 (木)

寿サロン

本日の夜、実家寺のあるお隣の集落、N地区の「寿サロン法話の夕べ」に寄せていただきました。

N地区は、戸数17軒の地区ではありますが、本当に地区がまとまっておられ、昨年から「老人サロン」も立ち上げられるなど、熱心に活動されています。

今回の「法話の夕べ」の会場となった「N地区のふれあいセンター」には、三幅掛け軸のお仏壇が備え付けられており、地区の道場的役目も果たしているそうです。

これまでは、お世話方が導師を勤め、ふれあいセンターでお講さまも勤まっていたそうです。

ですが、そのお世話方が病気になられ、お講さまも途絶えてしまったため、今回「サロンで法話会を」ということになったそうです。

Img_1619

N地区の皆さんも、見事に「お正信偈の行譜」をお勤めされます。

特に感激したのは、5人の男性の方が、女性の音域に見事に合わせてくださったことです。私は、とても男性の声(音域、パート)についていけません。

「 こほりおほきに みづおほし、さはりおほきに 徳おほし 」

苦が無くなるのではなく、苦が転じられて徳となる
辛いことを 乗り越えてこそ 幸せを感じることができる

それが、「お念仏のご利益」といえるのでしょうね。

Img_1618

N地区の皆さん、夜、お疲れのところ、一生懸命ご参加いただき、有り難うございました。